森羅万象や人の健康、植物、動物を語るのに「気」は避けて通れない。何故なら全宇宙に存在する万物は「気」そのものだからだ。「気」と言う言葉が適当かどうかはわからない。野人は気功師でもなければエネルギー崇拝者でもない。科学書や海洋学書、物理学、生物、植物などの本は山ほど読んだが、気やエネルギー、ヒーリング、オカルト、霊などの本は一冊も読み終えた事がないのだ。最初の数ページを読んだだけで読む気がしなくなってしまう。何故ならそれらは科学者が書いた本ではないからだ。科学は森羅万象を知り尽くすには及ばないとしても、人類が長年築き上げてきた科学、物理学の「基本」がある。はなからそれらを無視して、あるいは間違いとして怪しげな持論を述べる内容は読むに値しない。科学の限界を知り、矛盾を指摘出来るのは科学者でしかないからだ。あるいは最初に間違っている事に気づいたら後は読む気がしない。気と名の付くエネルギーも霊も確かに存在する。オーラとか色んな番組も人気があるようだが、野人はあまり感心しない。存在は認めるが、彼らのやろうとする方向性は人として間違っていると思っている。また見世物にすべきことでもない。賛否両論あり、科学に凝り固まった人間は眉をしかめるだろう。心に救いを求める人間はのめり込んでいくだろう。科学は万全ではないが、精神論で語りつくせるものでもない。野人と同じような視点と理論を持った人間や科学者にはいまだお目にかかったことはない。野人は両刀使いなのだ。森羅万象、人間の科学、それに自らの体験、それらを客観的に見て答えを出している。人類の科学はともかく、野人の科学では物理的に説明は出来る。しかし壮大な世界にまで入り込んでしまうからあまり人に話したことはない。しかしここに来て世の中はおかしな方向に進んでいることを強く感じる。それは多くの人も感じている事だろう。野人の科学理論をわかりやすく語るにはそれこそ「気」が遠くなるほどエネルギーを使う。農業や植物や魚介類の話のほうがはるかに楽しくて楽なのだ。しかし生命の本質を語るならどうしても避けては通れない。人間の構造、植物や動物、物質にいたるまでの「仕組み」、それらは宇宙そのものなのだ。「たった一人の武士道」も武道家とは異なる一代限りのもの。スポーツマンシップなるものとも無縁で、その考えはたぶん野人独特のものだろう。それと同じように「宇宙観」「生命観」も自分だけのもので良いと思っている。まだまだ身をもって調べたい事はたくさんある。おそらく生涯を費やす事になるだろう。分業、専門などのミクロからではなく、マクロから捉えた「仕組み」を書き綴って行けたらと思っている。漢方の世界も「気」なくして語れず、健康も農業も魚の養殖も同じ事が言えるようだ。野人に「たぶん」はない。紛らわしいことも言わない。確信を持っていることしか語るつもりはない。何を信じるかは自由だが、耳を傾けてくれる人にとって少しでも役に立てたならそれで良いと思っている。