朝5時になると決まって飛行場の窓を叩いて安眠を妨げるやからがいる。
じいさんが放し飼いにした孔雀だ。
何十羽いるのかわからないが鋭い口ばしで枕元のガラスをコツコツ突くだけでなく、「アオー~!」と奇声を発するからたまらない。
仕方なく起きてたまにはエサをまいてあげる。アオー!アオー!と合唱になるから・・
「やかましい~!!青の次は何だ!黙って食え!」と怒鳴ると一斉に静かになるのだ。
普段は藪の中で自給自足している。
他の鳥も同じだが、孔雀は繁殖期になると、あの見事な尾羽を扇形に広げ、メスを誘うダンスを踊る。
踊ると言っても不器用だからメスの前でバレリーナみたいに一回転するだけだ。
メスが知らん振りして通り過ぎると尾羽は萎える。
同じオスとして身につまされる。
そして次のメスの前でまた懲りずに繰り返す節操のなさは人間の男も同じだ。
尾羽の用が済むと、立派な羽をたまに一本頂戴するのだが孔雀は嫌がって逃げる。
カツオやマグロを釣るルアーの羽根に最適なのだ。
飛べば良いのに不精だから走って逃げるのだ。追いかけるのは良い運動になる。
念のために言っておくが、孔雀の肉は硬くてあまり美味しくはない。
島にはホロホロチョウも放し飼いにしていた。
アフリカ原産の珍妙な鳥で大きさは鶏くらいだがハゲタカみたいな頭をしている。
この鳥は頬っぺたが落ちるほど旨く、今まで食べた中でも上位に入るくらいだ。
浜松からじいさんが小型機で到着、飛行場からクラブハウスまでジープで連れて行った時、道路を孔雀が占領していた。
じいさんが「お前は孔雀を食ったか?」と言うので、「あんな硬い鳥、旨くないですよ」と言ったら、「やはり食っただろう」と笑っていた。
じいさんはカラスでもダチョウでも食用にしない海蛇でも何でも食べる。
何しろ口癖は「食べてみないとわからないだろうが!」だ。
道端の見知らぬ雑草が、実が美味しく食べられることにも感動するのだ。
一度食べて硬くて不味くてもあきらめない。
あれこれと色々やってみてそれでも駄目ならあきらめるのだ。
じいさんがホテルなど各施設の料理長を集めて作らせたのが「エピキュリアン料理」で本も出した。
「食べものは常識や価格で判断するものではない、自分の舌で判別するものだ」じいさんはいつもそう言っていたが、その教えは今も生きている。
人は本来そうあるべきものなのだ。
子供の頃の素朴な好奇心は、大人になるにつれて頭で判断するようになる。
それは判断と言うより思い込みや偏見が多い。
じいさんは誰よりも子供の好奇心とあくなき探究心を持っていた。
高齢でそのような人物はじいさんしか知らない。
じいさんはどんな魚でも釣ったものは捨てない、
小サバでもハゼでも。美味しく食べてあげる道を選ぶのだ。
じいさんに「キャッチ&リリース」は通用しない。
人間のエゴで、趣味や娯楽の為にアウトドアスポーツと称して魚を傷つけるのは嫌いなのだ。
人も魚も同じ命あるもの、じいさんは命あるものの自然界の道理を説いていた。
たまたま釣れて、生きそうな小魚は逃がしてあげるが、手で強く握ったり肌の粘膜を針で傷つけた魚が生きられる確率は低い。そこから雑菌が入り病気になるのだ。
じいさんは「命」と言うものを誰よりも深く理解していたように思う。
ヤマハが経営する施設の牧場の責任者に、「本来は食べる人がしなければならないとさつ処理と言う嫌な役目を引き受けてくれてありがとう」と深々と頭を下げたのだ。
なかなか出来ることではない。
じいさんは「バカ!」を連発しながらも末端のスタッフを誰よりも大切にしてくれた。