農業における数学的思考とは? | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

農業の面積当たりの生産高、生産効率は世界的に共通しているが、そもそもそこからがおかしい。足元の基点からよく考えてもらいたい。内容にもよるが、米は一反当たり10万、野菜は大根を例に一回千本とする。一本百円とすれば同じ10万だ。これを一日当たりの生産高に換算すれば、整地の時間も入れて、米は半年、大根を4ヶ月として、それぞれを180日、120日で割ると、米は一日当たり556円、大根は830円になる。一反と言えば300坪で建売り住宅6件分、駐車場にしても50台は入る。その面積にしてはあまりにも少ない。ましてその半分は経費だ。これに労力を入れると成り立たないのは当たり前だ。1反当たりの粗利を月に換算すると、米で8千円、大根とキャベツで二回転させても2万5千円、つまり農業は最初からやって行けない。平均4反所有としても小規模農家は成り立たないのだ。農家が他の仕事しながら農地を維持しているから業界は回っているが、それも限界がある。これからの若者はそんな無駄な事はしないだろう。

米の生産は機械化され、何反でも苦もなく出来るが、野菜は手作業が多く労力がかかる。平均して、一日当たりの生産高を700円として、本当に300坪の土地がそれだけのものしか生まないのだろうか? スーパーの100円のサラダ菜に例えれば7袋だ。文明は農業から生まれ、野菜は改良され、真冬でも出来る野菜が数多く生まれた。つまり野菜は年中出来るのだ。そこから思考を進め、実験すれば、少なくとも毎日50袋は採れるはずだ。同じものだけでなく多彩な野菜が途切れることなく次々に。それが出来ないのは、やり方が根本的におかしいとしか言いようがない。実験の結果、少なくとも5㎡あれば毎日100円分の野菜は採れる。1反では1日二万円になる。半分通路にしても1万円だ。つまり一反農業で30万の生産高、経費をかけなければそのまま粗理になり、農業は十分やって行ける。そこから何を、どのようなやり方で生産するかと思考を進めるべきだろう。最初からやって行けないものをやることほど空しいことはない。「このやり方が普通だ」と言っている場合ではない。そして「まずやってみよう」と言う考え方は何年経っても何も生まない。回り道をするだけだ。