龍と女神のツインレイ夫婦
Mosscual・りこにゃんですウインク
 
 
 

前回、

思い出した後の

生き方について書きました。

 

 

⇧シリーズの最初の記事はこちら

 
 

本来の感覚を思い出し、

自分の内側を信頼して生きること。

 

でも、

読んでいて

こう感じた方もいるかもしれません。

 

「それができたら苦労しない」

 

本当に

そうだと思います。

 

感覚としては分かる。

 

どこかでは

納得している。

 

それなのに、

いざ選ぶ場面になると、

自分の声よりも、

誰かの声の方が大きく聞こえてしまう。

 

「本当はこうしたい」

よりも、

 

「どう思われるだろう」

が先に浮かぶ。

 

なぜでしょうか?

 

それは、

あなたが弱いからではありません。

 

むしろ逆です。

 

そうならざるを得ない

理由があったです。



子どもの頃のわたしたちにとって、

親や先生の言葉は世界そのものでした。

 

自分よりも大人の方が正しい。

 

そう学ぶことは、

生きるために

必要なことでもあります。

 

でもその過程で、

少しずつ起きることがあります。

 

「嫌だ」

と言ったら、

 

「わがまま」

と言われる。

 

「怖い」

と言ったら、

 

「大丈夫」

と言われる。

 

「悲しい」

と言ったら、

 

「そんなことで泣かないの」

と言われる。

 

もちろん

そう言った相手に

悪気があったわけではありません。

 

でもわたしたちは、

そんな経験を通して学びます。

 

自分の感覚よりも、

外側の判断の方が

正しいのだと。

 

そうして少しずつ、

自分の声を後回しにするようになります。



学校では、

正解は先生が持っています。

 

会社では、

判断は上から下へ流れてきます。

 

社会には、

「普通」という見えない基準があります。

 

その中で長く生きていると、

 

「自分はどう感じるか」

よりも、

 

「正解はどこにあるのか」

を探すことが

当たり前になります。

 

だから、

 

自分を信じられないのは、

能力の問題ではありません。

 

そうしない方が

生きやすかった環境の中で、

長く生きてきた結果なのです。



ここで少し見方を変えてみます。

 

自分を信じられない人ほど、

実は感受性が豊かなことがあります。

 

たくさん感じる。

 

たくさん受け取る。

 

だからこそ、

何を信じればいいのか分からなくなる。

 

内側の声が小さいのではありません。

 

外側の音も、

同じくらい聞こえてしまうのです。

 

だから疲れる。

 

だから迷う。

 

だから、

分からなくなる。

 

もしそうだとしたら、

自分を信じられないことは、

感覚が鈍い証拠ではなく、

 

感覚が豊かだった証拠なのかもしれません。



では、

どうすればいいのでしょうか?

 

わたしは、

自分を信じる力は、

取り戻していくものだと思っています。

 

特別な能力を身につけるのではなく、

 

もともとあった感覚を、

もう一度思い出していく。

 

今、

カラダはどう反応しているだろう。

 

その人と会う約束をしたとき。

 

その仕事の話を聞いたとき。

 

その場所へ行こうと思ったとき。

 

胸は少し開いているだろうか。

 

それとも、

どこかで固くなっているだろうか。

 




頭は理由を探します。

 

でもカラダは、

理由より先に反応しています。

 

最初は分からなくても大丈夫です。

 

耳を澄ませるたびに、

感覚は少しずつ戻ってきます。

 

自分を信じる力も、

使えば使うほど、

筋肉のように育っていく。

 

だから、

自分を信じるとは、

大きな決断で

証明することではありません。

 

小さな感覚を、

無視しないこと。

 

その積み重ねなのだと思います。

 

わたしたちはずっと、

正しい答えを探してきました。

 

けれど、

自分を信じるとは、

正しさを

手に入れることではありません。

 

たとえ間違うことがあっても、

自分の感覚に

耳を傾けること。

 

そして、

その経験からまた学ぶこと。

 

その繰り返しなのだと思います。

 

そして、

もしかすると——

 

思い出すことより

難しいのは、

信じることなのかもしれません。

 

思い出すことはできた。

感覚も少し戻ってきた。

 

でも、

人生が動くのは、

その感覚を信じて選んだ瞬間です。

 

だからわたしたちは迷う。

 

選ばなければ、
今まで通りでいられるから。

 

でも同時に、

選ばなければ、
何も変わらない。

 

では人は、

どうすれば

「分かっているのに動けない」

を超えていけるのでしょうか?

 

次回は、

そのことについて書いてみたいと思います😊