前回、こんなことを書きました。
忘却は、喪失ではなかった。
それは、人生を体験するために
必要な仕組みだったのかもしれない。
では、
思い出した後はどうなるのでしょうか?
何かが劇的に変わるのか。
苦しみがなくなるのか。
特別な人間になるのか。
たぶん、
答えはそうではありません。
思い出した後も、
朝は来るし、
ご飯を食べるし、
誰かとすれ違う。
悩む日もあれば、
迷う日もあります。
人生は変わらず続いていく。
けれど、
同じ日常が、
少し違って見えるようになる。
わたしはそんなふうに感じています。
変わるのは出来事ではなく「軸」
思い出す前と後で、
何が変わるのでしょうか?
それを一言で表すなら、
重心が変わる
ということかもしれません。
思い出す前のわたしは、
いつも外側に引っ張られていました。
どう思われるだろう。
嫌われないだろうか。
間違っていないだろうか。
気づけば、
自分の人生なのに、
自分以外の基準で
生きていたのです。
もちろん、
それが悪い
というわけではありません。
分離の中で生きるとは、
そういうことでもあるからです。
けれど、
何かを思い出した後は、
少しずつ重心が変わり始めます。
外側ではなく、
内側へ。
「これが正しいから」
ではなく、
「これがわたしだから」
その場所から、
選択が生まれるようになる。
思い出すとは、
自分の中心に
戻ることなのかもしれません。
日常の解像度が上がる
もうひとつ、
変わることがあります。
それは、
日常の見え方です。
朝の光。
窓から入る風。
季節の匂い。
以前と同じはずなのに、
なぜか違って感じる。
感覚が鋭くなるというより、
世界との間にあった薄い膜が、
少しだけなくなるような感覚です。
思い出す前は、
多くのものが
「処理すること」として
通り過ぎていく。
思い出した後は、
同じ出来事が
「体験」として届くようになる。
嬉しさも。
悲しさも。
以前より少しだけ、
深く味わえるようになるのです。
それでも、人は揺れる
ひとつ、
正直に
書いておきたいことがあります。
思い出した後も、
人は迷います。
本音で生きようと
思った日に限って、
怖くなることもあります。
「本当にこれでいいのかな」
そう思う日も、
もちろんわたしにもあります。
以前なら、
そんな自分を見るたびに、
まだ足りないんだと
思っていました。
もっと整わなきゃ。
もっと学ばなきゃ。
もっと分からなきゃ。
でも今は少し違います。
揺れることと、
分からなくなることは、
別のことだからです。
海はいつも揺れています。
でも、波が立っているからといって、
海そのものが
消えてしまうわけではありません。
わたしたちの心も、それと同じです。
揺れるのは、自分にまだ
「何か」が足りないからではない。
人間として、生きているからです。
ただ、
思い出す前と後で、
ひとつだけ
違うことがあります。
それは、
「戻る場所を知っている」
ということ。
嵐の中の船にも、
錨があります。
波に揺られても、
風に流されそうになっても、
完全には見失わない、
帰る場所がある。
思い出した後の生き方とは、
その場所を知ったまま
生きることなのかもしれません。
愛を生きるということ
もしかすると、
わたしたちは
思い出すために忘れたのかもしれません。
そして、
思い出したあとに必要なのは、
特別な力ではなく、
ひとつひとつ選び直すこと。
分離した世界の中で、
もう一度つながること。
その選択を、
わたしは
「愛を生きる」
と呼んでいます。
愛を生きるというのは、
いつも
穏やかでいることではありません。
迷わないことでも、
傷つかないことでもない。
揺れながらも、
立ち止まりながらも、
「本当はどうしたい?」
と自分に問いかけ続けること。
その小さな選択を重ねていくこと。
恐れからではなく、
愛から選ぼうとすること。
「嫌われたくないから」
ではなく、
「これがわたしの本音だから」。
「正しいと言われているから」
ではなく、
「これがわたしの体験から
生まれたものだから」。
そんなふうに生きることなのだと思います。

思い出した後の人生は、
特別なものに
なるわけではありません。
同じように朝は来るし、
日常は続いていく。
けれど、
どれだけ遠くへ行ったとしても、
戻る場所を知っている。
わたしは、
その感覚こそが
愛を生きるということなのだと
思っています。
そして、
エンシェントワンワールドを
この現実の中に生きる
ということも、
きっと同じです。
失われた世界を探し続けるのではなく、
日常の中で、
もう一度つながり直していくこと。
人と。
自然と。
世界と。
そして、自分自身と。
その小さな選択の積み重ねが、
未来を静かに形づくっていく。

失われた世界を
探し続ける必要は
ないのかもしれません。
なぜなら、
わたしたちはすでに知っているからです。
そして、
何度忘れても、
何度でも思い出せるからです。
エンシェントワンワールドとは、
どこかに存在する
理想郷ではなく、
わたしたち一人ひとりが、
今日
どこから生きるか。
その選択の中に
息づいているもの
なのだと思います。
次回は、
なぜわたし達は
自分を
信じられなくなったのか
ということについて
書いてみたいと思います![]()


