だから、、、、私はずっと、

愛の足りない自分を責める、という

「罪悪感」に逃げていたの。

 

 

 

もっと楽に、幸せに。

パートナーシップカウンセラー 

真中美和です。

 

 

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真中美和(Miwa Manaka)

  • 大人女子(主に30〜50代)向けパートナーシップカウンセラー
  • 6,500人以上の相談実績(たまに鬼軍曹w)
  • 49歳シングルマザー
  • お付き合い歴11年・遠距離の年上彼(通称ダーリン)と”無期限婚約”中

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先日、チラッと「愛でいる」ということを

練習中なんだということを書いたけど、

 

 

少し前に気づいたの。

「愛する(Do)」「愛(あい)でいる(Be)」

というのは、別のことなんだな、って。

 

 

 

特に、私は息子に対して、

一生懸命「愛する」をやろうとしてきたけど

本当は「愛でいる」だけでよかったのかもって。

 

 

実は、6月の初めに、

息子のことである事件(?)が起こり、

 

 

(ここで書いてたことなんだけど)

 

ちなみにね、今回の私の共有した内容が些細なことであれば、私もここまで重大に取り扱いません。詳細はここでは書けないけど、私にとって相当重要な案件だったからこそ、です。ことの重大さを考えたときに、いくら「返事しづらい内容」だったとしても、返事をしないでいる、という対応は、パートナーとして私は看過できない、ということを伝えたかったの。

 

 

そこから、少しずつ、少しずつ、

助けてくれる人との対話や、

chatGPTとの壁打ちや(笑)、

ふと目に入ってくる情報や、

ふと手にした本や、

過去の自分の気づきのメモや、

私の脳内に漂っていた違和感など、

いろんなものを通して

私の中の気づきが整理されていって、

 

 

 

20日ほど経た一昨日の日曜日、

気づきが一つ一つ繋がって、最後、

ずっと最後まで埋まっていなかったピースが

やっと埋まった、という感覚に辿り着きました。

 

 

 

やっと自分がなりたかった自分、

追い求めていた自分に追いついたような、

青い鳥のように、

追い求めていたものが、

実はもうここにあったのだ、

ということに気づいた感覚がしています。

 

 

 

今日は、この気づきを、

今の温度で記しておきたいので、

私のための備忘録として書きたいと思います。

 

 

 

ここでこれを書くのは、

正直、ダサい自分を晒すことになるので

かなり恥ずかしい気持ちもあるし笑い泣き

 

 

 

きっと説明不足な部分もあると思うけど、

あなたの何かのヒントにもなったら嬉しい。

 

 

「愛せない」私。

 

 

これは、やっと言葉にできることだけど、

私は、ずっと、自分が

「ちゃんと愛せない」ことが怖かったのだ。

 

 

 

おそらくそれは、

物心つく前から、なのかもしれない。

命がそうプログラミングして生まれてきた

のだろうから、

それはもう仕方がないのだけど(笑)

 

 

 

「価値ある自分になりたい」と思って

何かを頑張ろうとしていた時にも、

私の場合、「人から評価されたい」とか

「優秀になって何かを手にしたい」

という感覚では全くなくて、

 

 

 

「誠実でありたい」

「喜んでもらえる何かを渡せる人間でいたい」

「愛せる力のある人間でありたい」

そういう感覚が、私をずっと動かしてきた。

 

 

 

どうやら自分らしく生きられていないらしい、

ということに気づいてもがき始め、

そこからたくさんの学びを経て、

自分の課題ともいっぱい向き合って、

 

 

 

がんばらなくていい、

ダメな自分でもいい、

役に立てなくていい、

期待に応えられなくていい、

こんな自分のまま、自分を愛そう、、、

 

 

 

そうやって、

ずいぶん自分とは仲直りしてきて、

いつしか、自分の中はすっかり平和になり、

めちゃくちゃ幸せに生きられるように

なってきたものの、

 

 

 

でも実は、、、

 

 

 

ずーーーーっと、私の中で、

引っかかり続けていて、

課題として残り続けていたのは、

「母親」としての自分だった。

 

 

 

なぜかずっとここだけが

喉の奥に刺さった小骨のように、

時折私の心を揺さぶってきて、

なぜここだけ残り続けているんだろう?って

ずっとずっと、課題であり続けてきたの。

 

 

 

ずっと私は、

自分がそうありたいと願っている

「愛情深い母親」と思えるような母親像には

どうしても似ても似つかない自分に、

ずっと消えない「罪悪感」を感じていて、

母性の足りない自分を責め、

 

 

 

だけど、なんとかして

息子に愛を伝えたくて、

この大切な存在に、

ちゃんと愛を感じさせてあげたくて、

 

 

 

今思えば、私はずっと

一生懸命「母親」という役割を

演じていたのだと思う。

 

 

 

「そうあるべき」と自分が思う母親像に

少しでも近づくように、

一生懸命、息子を「愛そう」としてきたの。

 

 

 

だけど、自分の奥深いところでは、

ずっとそれがしんどくてたまらなくて、

(だってめちゃくちゃ無理をしてるから)

ずっと、愛を差し出し続けている感覚で、

自分のエネルギーをめちゃくちゃいっぱい

息子を愛することに注いでいるんだけど、

 

 

 

一方で、注いでも、注いでも、

自分の中では「ちゃんと愛せている」という

実感がまったく得られなくて、

それがいつもすごくしんどくて、

エネルギーを消耗して、疲れていた。

 

 

 

でも、

その「自分は、息子をちゃんと愛せている」

という実感が感じられないままだと、

「ちゃんと愛せない母親になってしまう」

「息子が母親の愛を感じられないままになる」

その不安に耐えられなくて、

必死で「愛そう、愛そう」とするんだけど、

 

 

 

息子が何か問題を抱えていたり、

うまくいっていないことがあったり、

ネガティブな感情を感じていたり、

何か辛そう、生きづらそう、と感じると、

 

 

 

それは全部「私が十分に愛せていないからだ」

という証拠を突きつけられているようで、

それが辛くてたまらなくて、

また「愛そう」と頑張る…というループ。

 

 

 

頭では、

これは単に私の不安であって、

本当の意味で息子を思っての愛ではない、

ということも十分にわかっているから、

そんな自分を責める気持ちもあるし、

だから、常に罪悪感もある。

 

 

 

でも、その心の奥にはずっと、

もっと愛さなきゃいけないの?

まだ私の努力(愛せる力)が足りないの?

って、ずっと愛を搾り取られているような、

そんな感覚があって、

 

 

 

本当は、、、

 

 

 

ずっと、逃げ出したかった。

早く子育てから解放されたかった。

 

 

 

息子が生まれてから1年ほどは、

自分のために使える時間がないどころか

睡眠もままならず、顔もまともに洗えず、

常に抱っこかおんぶか授乳か寝かしつけで、

育児の奴隷になったような気がする日もあったし、

 

 

 

ある程度大きくなってからも、

あれもこれも手がかかって、

シングルマザーでもあるから

子どもを放置してはなかなか出かけられず、

ずっと足枷があるような気がして、

「早く子育て終わんないかな」って

思っていたりする日もあったのに

(酷い母親だw

 

 

だって、ずっとこんなに

不安と闘ってきたんだもん。

 

 

2ヶ月間ほど入院治療し、

症状が落ち着いたのを機に退院。

その翌週から2ヶ月間、

今度は別のリハビリ専門の病院に

母子入院をした。

毎日朝から夕方までリハビリ漬けの日々。

 

 

 

退院後は、

数少ない子どものリハビリができる

3カ所の病院を行ったり来たり、

週5日リハビリ、

という生活を1年間送った。

 

 

 

できること全てをやらないと、

後で後悔してもしきれない。

 

 

 

私のせいで、回復が遅れたりなんかしたら、

そんな自責を抱えて生きるなんて

耐えられそうもない。

 

 

 

しかも、泥沼離婚もこのときちょうど同時並行だったから、彼からの非難や攻撃や理不尽な要求や、そんなものとも闘っていたから。

 

 

 

必死だった。

 

 

 

特に、息子は1歳半のときに

急性脳症になったために、

身体機能にも少し苦手なところが残っていて

同世代の子たちと一緒に走り回って遊んだり

仲間と一緒に活動することが苦手で

ずっとやってこなかったから、

 

 

 

そういう「なんで⁉️」と思うような部分が、

単に「経験不足」からくる社会性のなさなのか、

あるいは、できないことが多いために、

私や(幼少期から一緒に暮らしていた)私の親が

あれこれ助け過ぎたり口出ししてきたせいで、

自立心が育ってないからかも?とかも

考えてしまったりしてチーン

 

 

 

ここを改善しないと、

せっかくいいものいっぱい持ってる子なのに

周りにいっぱい誤解されてしまって、

受け入れられず、孤立するんじゃないか?

社会に出たときにすごく困るんじゃないか?

と思えて、(私が)不安でたまらなかったの。

 

 

 

だから、親として、

なんとかして改善させてあげなきゃ!って

勝手に心配して、勝手に背負って、

 

 

 

なのに、全然改善されないし(そりゃそーだw)

本人も改善しようとしないし、

(本人は、それが問題だと感じないから)

それでどうしたらいいかわからず、

不安からイライラしてたんだよねゲロー

 

 

 

もういいでしょ、もう十分やってきたもん。

こんなに精一杯で頑張ってきたのに

まだ足りないって言うの?

もういい加減、私を解放してよ。

 

 

 

そう思う気持ちが、本当は、

私の心の奥にはずっとあった。

 

 

 

だって、本当に頑張ってきたから。

一生懸命絞り出すようにして愛してきたから。

なんとかして「愛したい」と思って、

息子に、自分のエネルギーを

必死で絞り出して注いで生きてきたから。

 

 

 

だけど、そんな気持ちがあることを

「そうなんだな」って認めてしまったら、、、

 

 

自分が愛のない人間だということが

(自分に)バレてしまって、

自分が「愛せない私」であることを

認めざるを得なくなる、、


 

 

それは自分の存在価値が、

根底から崩れるような

得体の知れない恐ろしさを感じることで、

 

 

 

だから、、、、私はずっと、

愛の足りない自分を責める、という

「罪悪感」に逃げていたの。

 

 

 

罪悪感さえ感じておけば、

私は本当は愛したいと思っている、

本来、愛情深い人間で、

一生懸命努力しています、

頑張る気持ちはあるんです、

うまくできなくて困ってるだけなんです、

という免罪符にできる気がしていたから。

 

 

 

そうやって、自分で自分を騙してきた。

 

 

 

息子が保育園の頃に書いてくれた宝物の絵。

 

 

 

でもね、先日、

息子のそのあることをきっかけに、

「あぁ、これは、息子の問題ではなくて、

私のために起こっていることだな」

ってことに観念するしかなくなって、

 

 

 

親友にガイドしてもらいながら、

改めて自分のこの心の痛みと向き合ったとき、

 

 

 

私の肚の奥の方から、

「もういいでしょ!もういい加減解放してよ!

もう母親業はやりたくない!!!」って、

本当は思っている、という

自分の本音が出てきてしまって←

 

 


そう、私の中には紛れもなく

息子を愛する気持ちもたくさんある、けど、

愛せない(もう嫌だと思っている)私も、

確かにいるの。



 

それを自分の口から出せたときに、

私の中で、何かが溶けていった。

 

 

 

そうきっと、

自分を初めて、

赦せたんだと思う。

 

 

 

ちゃんと愛せる人間でなければ

存在していられない、

そう心の奥で強く恐れていた私が、

 

 

 

自分は、本当は、

そんなに献身的に愛せる人間じゃない、

すごく薄情な部分もあって、

身勝手で自分の自由を優先したい自分もいる

っていうことを、

 

 

 

「罪悪感」という隠れ蓑を使わずに、

そのままに認められたとき、

 

 

 

ある意味、「そのままの本当の自分」

降参できたとき、

 

 

 

すごく不思議な感覚なんだけど、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも私は十分に「愛」の存在だった

ということが腑に落ちた。

 

 

 

「陰極まって陽に転ずる」じゃないけど、

ちゃんと「陰」を認めきったら、

ちゃんと「陽」が十分にあることが

やっと、真理として心にもたらされた気分。

 

 

 

頑張って「愛そう」としなくても、

相手に愛が十分に伝わったかどうか

=「愛せたか?」も関係なくて、

 

 

 

ただだた、

私という存在に、溢れるほどの愛があって、

存在そのものが「愛である」のだから、

 

 

 

一生懸命「愛そう」なんて

まったくしなくてよかったんだ、

何も頑張らなくてよかったんだ、

ただそこに存在して、

自分の内側から湧いてくる感覚に正直に、

ただ生きているだけでよかったんだ、

という感覚が、私の中に流れ込んできたの。

 

 

捨ててきた自分。

 

それは、

これまで感じたことのない安心感で、

自分がずっと忌み嫌ってきた、

絶対に自分の一部とは認めたくなかった部分

 

 

 

やっと自分が「おかえり」って

自分の一部だと認めてあげられた感覚。

 

あぁ、私は私でよかったんだ、

こんなに不完全で、未熟で、

まったく理想通りになれない、

大したことのない私で、

これでよかったんだ。

 

このことが、すごく自然で、

残念さや罪悪感を伴わず、

ただそうなんだ、と感じられる。


 

 

これは、2019年に、

頭では理解していたことだけど、

ずっと腑に落ち切ってはいなかったんだな、

ということが、今回やっとわかった。

 

 

自分の心の中には、いろんな自分がいる。

優しい自分もいれば、冷たい自分もいる。

思いやりがある自分もいれば、自分勝手な自分もいる。

ちゃんとしてる自分もいれば、だらしない自分もいる。

 

 

 

だけど、

こんな自分はいい、

こんな自分はダメ、って

いつしかマイルールでジャッジするようになって、

ダメな自分はなかったことにしたり

否定したりして、

つまりは「捨ててきた自分」があるってこと。

 

 

(略)

 

 

いくつもワークをする中で、

私はまだまだ

「優しくない私」

「自分勝手な私」を

捨てようとしているんだなぁ。

って気づかされた。

 

 

 

今回のセミナー参加もね、

息子を放置して、

息子に寂しい思いをさせてまで、

自分のやりたいことを優先する

「優しくない私」「自分勝手な私」に×をつけていて、

だからなかなか決断できなかったんよね。

 

 

 

そんなのダメなお母さんじゃない?

そんなの酷いお母さんじゃない?

周りの人を悲しませちゃいけない。

周りの人に嫌な思いをさせてはいけない。

 

 

 

だけど、

そんな自分もあっていいんだよね。

 

 

 

一昨日、息子に会っていたのだけど、

明らかにこれまでとは感覚が違って、

息子の凸凹した部分や、

いろいろうまくてきないこと、

問題に見えるようなこと、を

まったく「どうにかしなきゃ」という感覚を

持たずに共にいられた。

 

 

 

息子が、息子のまま、

本当に「そのままでいい」と思えた。

 

 

 

そして、、、

まっすぐ息子の目を見ることができた。

 

 

 

そこで初めて、私はこれまでずっと、

まっすぐに息子の目を見られていなかったんだ

ということに気づいたの。

 

 

 

それはいつも、どこかに

「後ろめたさ(罪悪感)」があったから

なんだなと気づいた。

 

 

 

目は嘘をつけないから、

愛情深くない私がバレるんじゃないか?

息子を愛せていない母親であることが

伝わってしまうんじゃないか?

それが息子を傷つけてしまうんじゃないか?

 

 

 

そんな恐れが心にあったから、

まっすぐ息子の目を見られなかったんだな

って思い至ったの。

 

 

 

だけど、そこにさえ、

もう罪悪感は湧いてこなくて、

 

 

 

あぁ、そうだったんだな、って

ただ「そういう自分がいた」ことを

認めていられたことにもびっくりした。

 

 

 

やっと、自分の欠けていたピースを

自分の中に「おかえり」ができて、

やっと安心して、私がまるままの自分に

戻れたような感じ。

 

 

 

不思議なことに、

息子の中でも大きな変化が起こっていて、

私の愛は、ちゃんと間違いなく彼の心に

しっかり届いているんだなという実感

今、あります。

 

 

 

やっとお互いが、

自分の大切なこと、逃げてきたものに

安心して目を向けられていて、

より一層、二人の間に揺るぎない絆があって

離れていても大丈夫、という

安心感が生まれています。

 

 

 

なんだか、私的には、

紀元前と紀元後、くらいに

何かが決定的に変わったような、

自分への信頼が格段に上がった感じがします。

 

 

 

でも、もちろん(!)

長年大事に抱えてきた癖だからね、

まだつい「ちゃんと愛せてるかな?」って

反射的に考えちゃう瞬間があることに

気づいたりもするのだけど、

それすらも、愛おしいというか(笑)

 

 

 

あぁ、私を生きてるなぁ

っていう感じ笑い泣き

 

 

 

やっぱり、自分の身に起こることは、

本当にギフトだなと思います。

 

 

 

今月はじめのその事件(?)がなければ、

ここまで私の心が揺さぶられることはなかったし

ずっと自分が「ないもの」にしたかった

自分の「捨ててきた自分」

目を向ける勇気は持てなかったと思うから。

 

 

 

ずっと、息子は、私のために、

私を選んで生まれてきてくれた子だろうな、

という感覚はあって、

だけど、それがいまいち

腑に落ちてなかったんだけど、

 

 

 

やっと、わかりました。

本当に私のために生まれてきてくれてたなって。

 

 

 

私がこの、

自分の存在がなのだと気づくために、

息子が、あの息子であってくれる必要があった

と思うから笑い泣き

 

私のスマホに残っている一番古い写真は、2012年の4歳の息子が、私にポテトをアーンって食べさせようとしてくれている写真。ずっとこうやって、息子はいつも私を愛してきてくれた。

 

 

 

そして、もっと言えばね、

自分にはそういう母性のような愛がない

と思うからこそ、

 

 

 

婚活時には、

愛情深い、子煩悩なタイプの男性が

パートナーになってくれたらいいなと

思っていたんだけれども笑い泣き

そうすれば、その彼に、息子へ愛情を注ぐことを肩代わりしてもらって、私はその役割を安心して降りられるからw

 

 

 

幸いなことに(!)

ダーリンはまったくそういうタイプではなく

私は私の課題から逃げるチャンスを失って笑い泣き

こうやって向き合ってこられたわけで、

 

 

 

ほんと

「ソウナルヨウニデキテイル」なんだなと

これまた、宇宙の采配には降参ですw

 

 

 

入籍前のこのタイミングで、

この気づきに至れたのも、

きっと何かの因果なのでしょう。

 

 

 

今のこの感覚を忘れずにいたいから、

自分のための備忘録として書きました。

 

 

 

説明不足な点もあると思うけど、ごめんね💦

でもきっと、

この文章に、あなたの中の何かが共鳴したら、

あなたの中の埋まっていないピースが

動き出すかもしれない照れ

 

 

 

結局、私は、ここまで強く、

愛というものに惹かれて生きてきた

ということでもあるから(笑)

 

 

 

それは、

「”愛”として、生きていきたい」という

強い願いを持った命なんだと思います。

 

 

 

だから、これからも、

暑苦しいくらいの愛を放って、

生きていくことでしょうwww

 

 

 

ご縁のある方々に、

この愛が伝わると嬉しいし、

伝わらなくても、

きっとどこかで伝わっているから。

 

 

 

あなたが何かを

受け取ってくださっていたら嬉しいです。

 

 

 

 

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