宇宙の理を生き、日常に還す。
パラレルシフトナビゲーターMEGUです。




📌初めての方へ
📌ちょっと大事な落とし穴の話

※このブログは、
思想ではなく この身体から書いています。





▶︎それ、勿体無いよね…



映画を観ていた。

途中で、頭の中では常に解説するんだなぁと気づいて。

「ちょっと解説要らないから」


ってアタマに指示を出す。


ただ、観る。

ただ、受け取る。




そうしていたら、
登場人物たちの感情が、
私の身体にいろんな色を重ねていくように感じて。


悲しい、だけじゃない。
悔しい、だけじゃない。
嬉しい、だけじゃない。
美しい、だけじゃない。


その奥に、寂しさがあったり、
諦めがあったり、
愛があったり、
言葉にならない震えがあったりする。


人の気持ちって、
本当はひとつの言葉にできないんだと思う。



だけど
頭で解説した方が、
このシーンで私が涙しそうになる理由もわかるし、
主人公の表情を「理解」できたような気もする。

「この人は、こういう背景があるから」
「この場面では、きっとこう感じているから」
「だから私は、ここで心が動いたんだ」

そんなふうに言葉にすると、
確かにわかったような気になる。


でも、少し勿体ないと思った。


言葉にした瞬間、
まだ名前のついていなかったものが、
ひとつの意味に閉じ込められてしまうような気がしたから。

悲しい。
悔しい。
切ない。
美しい。

きっと、どれも間違いではない。


でも、その人の中にあるものは、
そんなひとつの言葉では足りない。


私の身体に届いていたものも、
たぶん、ひとつの感情ではなかった…


理由になる前の震え。
説明になる前の色。
理解する前に、身体が受け取っていたもの。


映画を観ながら、
それを言葉にしないでいたいと思ったのだ。



そういえば、学校の国語の時間に、
「この時の主人公の気持ちは?」
と聞かれることは当たり前にあった。


私はいつも、

正解を探していた気がする。



でも今は思う。

主人公の気持ちは、
ひとつじゃないかもしれない。


教科書に書かれている言葉の奥にも、
その人の人生や、
言えなかった想いや、
身体に残っている記憶があるかもしれない。


物語を読むことも、
映画を観ることも、
本当に素敵なことは
正解を当てることではなくて、


その人の中に重なっている色を、
自分の身体でそっと受け取ることなのかもしれない。




本当は、身体はもっとたくさんのものを受け取っているのかもしれない。


言葉にする前に。
理解する前に。
理由をつける前に。


その人の沈黙や、
表情の奥にあるものや、
声にならなかった想いや、
画面の中に流れている空気まで。



だから今日は、
急いで言葉にしないで、
急いで正解にしないで、


その色たちを、
ただ身体に通す。



頭で説明する前に、
身体が先に受け取っていることがある。


胸が少し詰まる。
お腹が温かくなる。
背中が静かになる。
涙は出ないのに、奥が震える。


そんな小さな反応を、
なかったことにしないでいたいなと思う。



正解を探すより、
まず感じてみる。


物語の中の誰かを、
ひとつの感情に閉じ込めない。


そして自分のことも、
ひとつの言葉で決めつけない。


言葉にすることで見えるものもある。
でも、言葉にする前に受け取っているものもある。



そんなふうに、
映画を観ながら、
理解する前のものを、
身体にそのまま染み込ませていた。




身体に、たくさんの色を染み込ませる。


それもまた、
とても豊かな時間だと思う。






____


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