たしかにドーキンスは「利己的な遺伝子」とは編集者がつけたのであって、自分は「協調的な遺伝子」とつけたかったと言っていたように思います。しかし、だからと言って協調的は利他的ではないのです。そこに僕はなかなか気付けませんでした。反意語だからと言って、ベクトルの向きが(次元が)同じとは限りません。利己的ー利他的のベクトルと利己的ー協調的のベクトルは違うのです。協調的はあくまでも自分のためであり、自分の種のためであり、自分の延長線上なのです(この議論もまた厄介で、その延長線上という議論はある程度を超えると利他となるからです)。正確に言うならば利己の延長線上ということです。なぜ、協調的に振る舞うかと言えば利己的だからということになります。そしてこの利己はホメオスタシスであり、悪いことではありません。しかし、その方向だけでは足りないというのが、定理2から3への拡張なのです。
ということは、利己的ー協調的というのは、どこまでもLow-sharedTCZであるということです。エソテリックというゴールでも見たように身を捧げる(献身)覚悟を持ったゴールも存在し、それは利己的ー協調的とは全く違う世界線です。ですから、「利己的ー協調的」↔利他的となるわけです。
この点は(特にマスタークラスの皆様へ)お詫びと訂正をします(ブログでは公開していない話しです)。そして文脈としてはNDU論文ではなく、その前の話しであったことはマスタークラスメンバーの記憶に新しいところかと思います。
森野君だけではなく、新しいメンバーもそうですし、中核メンバーの皆様も過去記事に言及していただき、ありがたいことです(森野君はライフワークのように、NotebookLMのように、いやそれをはるかに凌ぐレベルで掘り起こしてくださっていて、ありがたいことです。畑がどうかは別として、少なくともこのようなテクストは掘り起こされて耕されます)。
ちなみに、森野君はいつからこういう森野君になったかと言うと、、、、、、最初に「はじめての気功」にいらしたその瞬間からです。彼が初めて来た「はじめての気功」講座で(どこに座っているかも覚えています。場所は今で言うKIXの指定席)、何を話しても頭の中にブログ全記事がありありとあるのが、分かったものです。何を聞いても「あ、それはどこどこに書いてありました」という感じで、上の句を言えば下の句が出てくるように頭に入っていたものです。それが今に至るまで変わりません。これが彼の能力の輪であり、先日の彼自身の記事でいみじくも開示されていたように、実はこれこそが天才の方法です(ピカソもシェイクスピアもモーツァルトも、そしてニュートンも)。
*森野さんの最新記事!ここに「天才の方法」が記載されています!
森野君の素晴らしさは典拠を示すことです。いや典拠というか、具体的には引用をきちんとしてその引用URLも示すことです。これはアカデミックなスタイルです。どの論文かを示し、その引用をするというのは、読者がその文献を自分で確認できるのです。そもそも知の世界というのは蜘蛛の巣のように概念ネットワークが広がっているものです。ある部分を切り取ってきても、それは広大な知の世界と接続しているのです。その広大な知の世界へアクセス可能にするのが、引用と典拠の明示です。たとえば、この本のここから引用しました、とか。このニュースのこれです、とか。このブログから引用しました、と書いてもらえば、読者自身がそこに移動して確認したりできるのです。
我々がなるべく科学の言葉を使うのはそれゆえです。科学の用語のユニバーサルさが気に入っています。特に身体においては、ついつい新しい用語を造語したり、定義が曖昧な言葉を使いたくなるのですが、ここは解剖学用語を使う方がアクセスできる知の世界が広がるのです。
逆に完全にオリジナルな概念に関しては(もちろん完全にオリジナルということは理論的にありえないのですが、文学的表現としてご寛恕ください)造語を使います(また、通常の使われ方からずらしたいという意図がある場合もそうします)。たとえば、MiQ(密教的IQ)とか、MATLASとか。
というか、別なことを書こうと思っていたのですが、書いているうちに雲散霧消してしまったので、ここらへんで一旦投稿します!
あ、ドクターのラジオの動画版シリーズ!!
最高です!!
本日より「はじめての気功」が文字通り再開します。
6年ぶり、7年ぶり?
いや、もっとですね。
「まといのば」としては、メンバーと競合することを避けるためにこれまで一般向けの講座をしてきませんでした。ただ、メンバーもしっかりとコミュニティーを作り上げ、それも年単位で稼働させてきています。よちよち歩きではもはやなく、むしろ「負うた子に教えられる」状態です。いや、「老いては子に従え」という状態か(それにはまだ早いか)。いや、何でも良いのですが、もはや真の意味での競合はしないと判断したので、密かに募集を開始します。
と、書いておきながら募集要項もフォームも貼らないというThe 「まといのば」な行動に出ており、すみません。もう時代は2026年であり、2013年でも2011年でもありません(当初はメール申込みでした。まだまだ携帯電話のメッセージが全盛でした。持ち物にデジタルカメラを推奨していました。録音機を持参して収録している方も多くいました。時代は変わりました!)。ただ当時から変わっていないのは、各自の強烈なゴールと強い好奇心、そして秘めたWant toです!楽しくやりましょう!!
6月22日(月)14:00〜17:00
マスタークラス①
6月24日(水)13:00〜16:00
マスタークラス②
6月24日(水)19:00〜21:00
はじめての気功①「TCZ理論から見た美肌クリームの秘密(「EcoSystem」という補助線)」(受講料3万円)
お申込みはこちら!
6月25日(木)19:00〜21:00
はじめての気功②「Baisnとしての大周天、サイコパスとクンダリーニ」(受講料3万円)
お申込みはこちら!
6月26日(金)19:00〜21:00
マスタークラス③
6月28日(日)
サラリア!!!@大阪!!!!(シンクウさんサイトよりお申し込みを!)
7月1日・2日
石垣島アーユルベーダツアー!!(ドーシャスクール特典)
*医療と教育は無料のスリランカ
そして非常に感銘を受けたブログを二つ紹介させてください!
ひとつはManamiちゃんブログ!
かなり際どい内容を書いた過去記事を掘り起こしてくれて、嬉しい!(ただこれらは本当に伏せなくてはいけない情報になりますね)。
いや、これはやはり引用しなければ!!良さが伝わらない気がします!!
もちろんリンクを飛んで、全文を味わって欲しい!
イーロン・マスクがね、人生最大の失敗を聞かれて
人間性より才能ばかりを重宝し過ぎたこと。って答えてるの見た⬆️
大事なのはその人が温かい心の持ち主かどうかです。
だって![]()
サイコパスっぽいけど、やっぱり心大切にしようって思ってるんだね
と、イメージ変わった
色んな偉人の発言って神髄をついてること多いので、見るの好き![]()
天才の視点ってやっぱり面白いよねー。
他にも色々とね。
べっちー先生の動画も最近よく見るし(これが知りたいと思う答えを探してる)
まといのば先生のブログも読んでいて前より自分の理解度が上がったのもあって、さらに上というか奥深いことに気付いて、めちゃめちゃ生きる喜びになっています![]()
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厚みがあることに気づいた![]()
人生って趣がありすぎる![]()
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面白すぎるだろ/人*´ω`*人\
そして情報空間は繋がっているんだな。。
*驚くほどに深く繋がっていますね!
そして、ジャパニーズサムライのチョンマゲで有名なChihoさんがまた新たな飛び石に移れたというご報告です!
白塗りチョンマゲを経ないと、この絶世の美女歌手バージョンには移動できないものです。
橋は単一ではないのです。バイナリーなのです。複数なのです。
ただ後知恵バイアスというのは残酷なもので「最初からそうすればいいのに」とか浅知恵バイアスであることを示します。
Chihoさんはしっかりと自分の道を歩いています!(華やかなシンガーデビューもおめでとうございます!!!)
デビューおめでとう!!!!
合唱団の中の1人という立場だったけど、400人以上のみなさまの前で歌うことができて、今後に繋がる貴重な臨場感が得られたよ!!
ああ、今日紹介しようと思って準備していたのは、山口小夜子さんの言葉!!
ファッションには今までずっと規制がありました。女性は肌を出してはいけない、コルセットをつけてウェストは絞られていなければならない。例えばTシャツもそもそもは下着だった。そこでそれを身につけることは「私たちはこういう生き方をする」という主張だったんです。ファッションとは主張ですし、規制を壊すような服を身につけるということがイコール、アウトサイダーだった。でも過去の人たちが一生懸命戦った結果、今は壊すべきタブーがなくなってしまった。それに80年代から、企業がファッションをビジネスとして捉えはじめ、売れて数字につながるよう、誰でも買えるようなものしか作れなくなった。
ファッションはアートではありませんから、クリエイティビティとビジネスの両立ができるデザイナーが優秀ではあるけれども、若いうちからそこを目指すとどうしても横並びになりがちなのかな、と思います。
スタジオボイス 2002年10月号
なぜ、これを引いたかと言うと、山口小夜子さんの魅力を知ってほしいということもあるのですが、一方で服飾史をサクッとどこかでやりたいからです。いろいろと伝えたいことはあるのですが、一つだけ!!
これは岡田斗司夫さんの切り口だったと思うのですが、服はどんどん裸になっていくという話です。下着が表に出てくる、と。
スーツは作業着でした。燕尾服が正装でした。
たとえばシャツはジャケットの下に着けるものあり、Tシャツはシャツの下に着けるものでした。
例えばTシャツもそもそもは下着だった。(山口小夜子)
それがこの発言に集約されるわけです。
ちなみに70年代の日本にいたものとしては、Tシャツという下着に絵が描かれ始め、それを臆面もなくシャツ無しに着る姿に、ギョッとした記憶はあります(それが記憶の合成でなければ。いや、全ての記憶は記憶の合成でしかないので、これもまたレミニセンスかも←何を言っているかワカラナイ)。
ちなみにこの次に続くのがこちら!
モデルらしいことは何もしていません。ただ、なるべくたくさん食べようとは思っていますが。
だからね、仕事をしているときが、わたしのストレス解消のときなのかもしれない。(略) with 1981年10月号
すごすぎます!!
ちなみにサムネはこちらから!








