呪術とか「咒」として気功を学ぶほうが、入りやすい人がいますし、整体やオイルトリートメントから入るほうが、結果的に気功を学びやすい人もいます。
どの道から入るかは問題ではなく、自分が何をしたいかが問題です。
というか、面白そうなものからどんどん手を付けていけば良いと思います。
気付いたら、圧倒的な結果が普通に出せるようになっています。
というわけで、リニューアルOnLine MenTorの感想を頂きました!
かなり重要なポイントが網羅されているので、熟読必須です(^o^)。
(引用開始)
伝授と「咒の思想」のレクチャーをありがとうございます。
こんなことまで教えていただけるとは思っておらず大興奮しています。まるで探し求めていた世界の果てに一気に来てしまった・・・そんな感覚です。
咒が自分のものになった、これでもうなんだって出来てしまう、という万能感さえ感じてしまっていますが、
同時に、ようやく新しい世界のはじまりに立ったと身が引き締まる感覚もあり、今は心も体もふわふわしています。
世界線を移動する話が特に腑に落ちました。
「もしもBOX」の話の結末のように、のび太とドラえもんと読者である自分だけが「もしもの世界」を知っているみたいな、不思議な感覚は何度か経験があります。
身近の人のあまりの白々しい態度に「ほら、ちょっと前はこうだったよね?」と思わず聞いてしまったこともあります。
今回、そういうものだと知れたことは自分にとって本当に大きなことです。これだけでもこの場に参加できて本当に良かったと思うほどです。
あと、何と言っても○○や○○○○○○の話。
一期で○○○○の印を教えてもらって以来、ほぼ全てのシチュエーションを○○○○ではじめるのですが、結構な頻度であちらの世界からよくわからないものをつかみ取ることがあります。
これは単純に○○○○の使い過ぎによる精度の低下、機能不全なゴール、いわゆるハズレを引いたようなものと、なかったことにしてきました。
しかし、それにさえ名付けることができるとは・・・本当に驚きました。
次回の内容はさらに難しいとのことですが、冒頭で言って頂いた、「今回で咒が得意になる」という、ここだけを見て次回までしっかりと準備しておきます。気になるブログの記事も読み込んでおきます。
ありがとうございます。
(引用終了)
「名とは咒である」というテーゼについては、繰り返しこのブログでも述べています。
名とは、第一に名前ということであり、名指すことであり、名付けることです。クリプキの固有名詞は固定指示子であるという議論に繋がります。
一方で同じクリプキの可能世界耳論を考えれば、咒とはある可能世界から別な可能世界への移動であるとも言えます。
可能世界という言い方をもし変えるならば、SF的な意味で別な世界線への移動ということです。
世界線を描いたSF作品としては、「君の名は」などがあります。
この世界線の移動の感覚というのは、実は多くの人が体験しています。
ヒーラーになると、クライアントと共に世界線の移動をすることになります。
世界線を移動する話が特に腑に落ちました。
「もしもBOX」の話の結末のように、のび太とドラえもんと読者である自分だけが「もしもの世界」を知っているみたいな、不思議な感覚は何度か経験があります。
身近の人のあまりの白々しい態度に「ほら、ちょっと前はこうだったよね?」と思わず聞いてしまったこともあります。
この感覚はとても大事です。
「もしもボックス」的体験をする人は多いのです。
Back to the Futureのように過去を変えてしまうことで、別な現在にたどり着くように、ヒーリングのセッションの結果として、別な世界へたどり着くのです。
これは恐怖であり、圧倒的な孤独な体験でもあり、取り返しのつかない喪失感をもたらします。もう自分のもといた世界には絶対に戻れないからです。
世界線というか、このワールドの感覚はドクター苫米地のブリーフシステムの数理哲学的定義の形式化の「w(ワールド)」の感覚でもあり、一人一宇宙の感覚でもあります。
最近、山岸秀匡さんの書籍を紹介したら、「まといのば」のメンバーさんから、こんな動画を紹介されました。
c.f.No Limitsとは自分という人間が、必然的に夢に近づいていくように環境を整えていくという意味 2022年01月10日
ロニー・コールマンの現在のボディビルダーについての批評の動画の話です。
ネックさんが好きな僕としてもこの動画は気になってはいたのですが、さすがに語弊があるので、紹介を避けていました(笑)。それに対する山岸秀匡選手ことBig Hideの回答はこちら。
あえてここで紹介しているのは、パトリック・ベト・ディビッドが
I am not in the world to see it.
と言っているからです。
「お前もそう思うだろ?」というロニー・コールマンの質問に、
「いや、僕はその世界にいないよ」、と。
ロニー・コールマンの視点の世界には自分はいないけれども、その見方は理解できる、と。
異なる世界にいても、分かりあえるのです(ちょっと違うかもw)。
