良いコストと悪いコストがあるが、このコストがどちらかはまだ分からない | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
気功師から見たバレエとヒーリングのコツを公開します。
「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

5月の第一週の金曜日にこっそりと開催した「はじめての開業」という、かつての開業コーチングの遺伝子を引き継いだ「まといのば講座」がかなり好評なので(自画自賛)、7月の第一週の金曜日にも開催しようと画策中です。

再びゲスト講師をお呼びして会計や税務についても語ってもらいます(先日はレクチャー後の質疑応答にかなり盛り上がりました)。会計や税務というのはつい後回しになりがちです。それはそれで悪いことではないのですが(そうなのか?)、もしそれが脳のメモリを圧迫していたら、脳のパフォーマンスは落ちざるを得ません。だからと言って、税理士に丸投げすればすべて解決というものでもありません(いや、丸投げするのは事実ですが、その会計なり納税の主体は自分自身であり、自己責任であることが押さえられているのであれば、「丸投げ」でOKでしょう)。

「まといのば」のメンバーの開業率が飛躍的に増加中ですし、開業なり起業のほとんどが失敗する以上は、失敗してもともとと思って構わないのですが、単なる単純なミスや無知によって事業が頓挫するのは避けたいところです。

そして頓挫してしまうパターンというのは、驚くほど似通っています。

というか、僕らは個々人がユニークだと確信している(もしくは過信している)のですが、実際はあまりに金太郎飴だということです。

つまずくパターンも、悩むパターンも似ています。あとはそれぞれのバックグラウンドに合わせてフレーバーが異なるだけ、本質的には同じです。

RPG(ロールプレイングゲーム)のようなものです。というか、RPGがそもそも西洋において普遍的な冒険譚(ぼうけんたん)を模倣しています(東洋も同じですが)。話はシンプルです。無知で何もできない少年・少女が冒険を通じて学び、武器を手にし、成長していくというだけのことです。

しばしば何もできず、何も知らない少年少女は武器を手にすれば、勝利は目前と考えがちです。セミナーを受ければ経験値が増すと。

良い武器商人はお客を見定めて、武器を売るか売らないかを決めるでしょう。武器が闘うわけではなく、人が闘うのですから。

背伸びのしすぎは良くありません。もっと地道に基礎体力、基礎知力をつけてから、ゆっくりと度に出ればいいのにと思うことはよくあります。

武器を手にしても、生き残れるかはフィフティフィフティです。しかし、基礎体力・知力は人を裏切りません。愚直に体力と頭を鍛えた人はきっちり報われます(セミナーにあわてて申し込むのではなく、まずは数年ブログだけをしっかり読んで、たまには写経しても良いのでw、きっちりその論理に取り組んで、しっかりと内容を理解してから、「まといのば」に通い始めても全く遅くはありません。逆にそのような人こそが、「後のものが先になり」を地で行きます。並み居る先輩たちをゴボウ抜きしていきます。当然です。あとから来たものが有利なはずもなく、その人がどれだけゴールに向かって歩いたかによって、結果は測られるからです)。


という話しは今回の主題ではなく、、、(笑)

開業にあたってつまずく箇所、悩む箇所は驚くほど一緒だということです。

もちろん第一義的には、集客であったり、コンテンツであったりするのかもしれませんが、そこに意識がある時点でダメなような気がしています。まず大きくズレています。
集客に意識が行くと、集客方法に意識が行き、その方法論の有効性にばかりフォーカスしてしまいます。それは明らかに泥船です。顧客と売り手の関係というのは、よほど奇妙な一発屋信仰なり、焼畑農法万歳でない限りは、きわめて長期的なものです。というか長期的な関係が築けないのであれば、その事業は継続をマーケットから(というか、クライアントたちから)許されていないということです。許されていない以上は、税金や規制などで保護されていない限りは、市場から退場せざるを得ません(その意味で市場経済というのは、驚くほど民主主義と似ています。消費行動とは投票行動です。消費行動=投票行動になっている典型例がアメリカの大統領選でしょう。寄付が集まらない限りは、選挙活動が継続できないというシステムなので)。

話を戻すと、集客というパラダイムがある限りは、顧客との長期的関係という視点をマスキングしていますので、生き残れないということです。またコンテンツも同様です。コンテンツは重要ですが、それは知識であったり、いわゆる新しい技術や情報というものではもはやありません。コンテンツはフリーに向かっているという標語は僕は少し過剰な物言いだと思いますが、コンテンツを握っているがゆえに怠惰でも構わなかった時代を考えると、「フリーに向かっている」と言っても良い気がします。
しかし、支払いに見合うコンテンツというのは存在します。焼いたパンはコンテンツでしょうし、果物屋のいちごもコンテンツです。
では、新しいパラダイムのコンテンツとは何でしょうか?
これは関係の中に浮かび上がっているものです。売り手と買い手の間に浮かび上がってくる何かがコンテンツです。売り手と買い手が相互に情報交換して(マネーもコンテンツも情報なので)、互いの関数(売り手という関数、買い手という関数)が望ましい未来に向かったという確信できたときに、次の関係が始まります。ドミノ倒しのようなものです。1つ目が倒れて、はじめて2つ目が倒れます。それが続けば長期的な関係という現象になりますし、途中で止まってしまえばブランドの毀損であったり、廃業となります。そして確実にドミノが倒れ続ける方法などありません(あったら、僕が教えて欲しいw)。

とは言え、多くの方が(コンサルタントさまもそうですが)そのような方法は存在し、そのような方法を教えることができると豪語しながら、教えられた会社よりも短い寿命を謳歌しています(笑)詐欺というよりは、互いの無知に根ざした、「盲が盲を導く」商法なのだと思います(批判しているわけではありません)。



1つのドミノから、もう1つのドミノが倒れるためには、命懸けの跳躍(マルクス)が必要なのです。命懸けの跳躍というとクワス算のクリプキを思い出します。
寺子屋受講生はお馴染みでしょうが「暗闇の中での正当化されていない跳躍」です。

ちょっと該当箇所を引用します。

(引用開始)
基本的な点は、こうである。通常私は、「68+57」という計算をするときは、単に暗黒の中で正当化されていない跳躍(unjustified leap in the dark)をするのでない、と思っている。私は、私が前もって私自身に与えた指示に従うのであり、その指示が、この新しい事例において、私は125と言うべきである、ということを一意的に決定するのである。しからばその指示とは何であるか。仮定により私は、この事例においては「125」と言うべきである、という事を私自身に明示的に語ったことは、決してないのである。そしてまた、私はただ単に「私が常にして来た事と同じ事をなし」さえすればよいのだ、と言う事もーーもしその引用符の中で言われている事が「私がこれまで与えた事例によって示されている規則に従って計算する」という事を意味するのだとすればーー不可能である。(クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』p.18)
(引用終了)



クワス算という奇妙な計算に関する我々の理解はこうでした。
新幹線の中でボールを進行方向に投げると、そのボールの速度は(移動しないプラットフォームから見た時に)新幹線の速度+ボールの速度になりました。ガリレイ変換です。単調な加算です。
しかし、新幹線が光の速度に近づき、ボールの速度も光の速度に近づくと、ガリレイ変換は破綻し、ローレンツ変換が出てきます。25万km/s+25万km/sの和は50万km/sではないのです。

これがクワス算の感触ときわめて似ているのです。

やったことのない(光速度にきわめて近い速度の和など)計算は、暗黒の中で正当化されていない跳躍なのです。

このような乱暴な要約を続けると、大人たちは眉をひそめるでしょうが、これは「計算が終わるまで結果は分からない」というチューリングの計算を思い出します。神すら不可知になるのです。その新しい計算は、「暗黒の中で正当化されていない跳躍」なのです。

ビジネスも人生も同様です(多分)。

確実なものなどはなく(あ、唯一ありましたね。死と税金がw)、不確実な闇に向かっていつも正当化されていない跳躍を続けるだけです。

そのときに基準となるものも、確実なものもありません。あるとしたら、自分の直観とか、確信とか、誇大妄想とかです。

自帰依自灯明

というのはそういうことです(違うかorz)。


その感覚と冷静な視点を持たないと、次々と出てくる「確実な儲け話」やら「お金がたくさん集まる財布」やら「M資金」やら「月10%の利回りのFX」やら「究極の集客法」などに良いカモとして引っかかっていきます(別にひっかかることも、ひっかけることも法に触れていない限りは、悪いとは思いません。単に需要と供給なので)。


と、長々書いてしまって、なんか本題なのか、本題じゃないのか分からなくなっていますが、どの話題も重要だと確信して書いています(^^)

サクッとまとめるというか、主題を語ると、利益=売上ー費用、ですが、その利益とは事業の継続のための費用であり、コストです。逆に言えば、利益を放棄するということは、事業の継続を放棄することになります。
コスト削減が叫ばれますが、コストには良いコストと悪いコストがあります。良い経費と悪い経費です。良い経費とは投資であり、回収が見込めるものです。これはむしろ増やしたいコストです。そして悪いコストとは、回収が見込めないものです。売上に関係ないか、売上を阻害するコストです。
で、ポイントはこの目の前のコストが良いコストなのか、悪いコストなのかの区別は今はできないということです。それは未来において(売上が立ってから)知ることができます(もしくは分からないかもしれません)。

我々自身もそうですが、事業も関数現象です。

インプットがあり、アウトプットがあります。

コストをかけて、売上が上がったり、コストをかけて売上が下がったりします。ある期間で売上からコストを引くとそれは利益ですが、それは無理矢理時間を凍らせて分析した1つの事象の表れでしかありません。ドラッカーに言わせれば、現実を反映しない情報システムです(それでも無いよりはマシなので生き残っています)。そう考えると増収増益を喜ぶのも、減収減益を悲しむのも、間違ったパラダイムということが分かります。そこでしか見れない視点を悲しむべきです。

関数現象として、自身もビジネスも考えて、非常にシンプルな系で考えることが、成功の秘訣ではないかと思っています。

その前の転ばぬ先のささやかな杖として、「はじめての開業」シリーズを二ヶ月に1度のペースで開催します(予定)。レクチャーは上記のような内容を中心にドラッカーを題材に考えます。会計・税務部門では、仕分け・記帳・申告についてかゆいところに手が届くレクチャーを予定しています。お楽しみに(告知はまもなくm(__)m)。