結婚教育・ハローパートナーシップ®︎の
タナハシです![]()
こちらのブログではワタクシ目線で率直・赤裸々に
* ハロパト(ハローパートナーシップ®︎の略)事業について
*講師業について
*おっちょこちょい経営者として
*家族のこと
*ライフワークである結婚教育のこと
*何よりアラカン且つ庶民のごきげんな一人暮らしについて
ごちゃ混ぜプライベート趣味ブログですがご一読いただきますとうれしいです![]()
語録、、、やってる暇がない😭
スタッフもほんと忙しくて😱
来年度、事業増えまして、
これまでの事業もやることが増えまして、
ちょっと大変です(笑)
語録まっててね💗
さて、昨日こちらを終えて
福井県から本日帰りました。
さあ、今日は師匠と弟子について書いてみることにします。
皆様は師匠がいますか。
弟子はいますか。
ワタクシの周りで、
「私が師匠だ!」と言う人って意外と多くて
「あー、◯さんは僕の弟子ですね」という人います。
実は、その人たちを見て、「すごいな」と驚くことばかりです。
ワタクシには仲間はいますが、弟子などは1人もいません。
最近、協会ビジネスとか自己啓発ビジネスとかコミュニティビジネスとか色々ありますよね。
その発起人のことを師匠と呼ぶ人が多い。
その会員のことを弟子と呼ぶ人も多い。
え、どうして、師匠となり弟子となるのだろう。
ワタクシは大昔に仏教の教えで
「師弟不ニ」という言葉を知りました。
不ニという意味は、異なる二つのものが、本質的には分かち難く一体であるという仏教の思想で師匠と弟子は分断されず、同一だとし、
また、単なる師への従属や依存ではなく、弟子の側が師の精神を自らのものとして継承し実践する主体的な姿勢を指すと学びました。
ワタクシは、そんな重いものを背負えない。
そして、近頃、師を持つブームのような、弟子を持つブームのように、師匠を持つという心地よさに酔っている人が多いように思います。
師匠を持てる幸福
とか、甘い言葉が好きな人が多いように思います。
優しく諭し、厳しい言葉を投げてくれる人を師匠などと思っているうちは、色々なものに騙されやすいと思いますから、もっと真髄をよく知り深めることが肝要かと。
ワタクシが52歳で大学生になったとき
文化人類学の玉城先生が師のことを語られました。
「僕の学問の師はね、めちゃくちゃな人でね。
大酒飲みだし、クチは悪いしね。ホントどうしようもない人なんですよ。
でもね、学問の前に常に真摯で謙虚でね。
ぼくは学問というものを師から学びました」
と、明るく語られました。
私の師も師匠のことを
「先生はめちゃくちゃな人だった。しかし、私がつかえるのは、この人しかなかった」と。
そもそも師を持つとは精神的依存先ではなく、
師を持つ以上、師を超える人生を生き抜くという誓願や師の構想を実現するために誠心誠意努力するという、そんな弟子側の覚悟がいるものではないかと考えています。
ワタクシが、結婚教育にせよ、ハロパトにせよ
色々なことがありました。
うち崩れず、ここまで曲がりなりにもやって来れているのは、師との誓いであり、師の構想の一翼を担う自分でありたいと奮い立たせてこれたからです。
ワタクシは、弟子など持てるような人ではないし弟子を持つ覚悟などない。
そして、弟子とは師匠に優しくされるような甘ったるいものでもなければ、もっと荘厳で厳粛なものだとワタクシは考えます。
世の中は酔わす言葉が多い。
心地よくさせる言葉に師弟が存在するのだと思う今日です。
師とは?
弟子とは?
誰でも師も弟子も持てるものではない。
師匠と弟子とは?
師の教えたことを弛まず実践し、その結果として
青は藍より出て藍より青し
という結果となる厳粛な関係だと理解しています。観念の中にある甘いものではない。
あなたは師を持つ覚悟、弟子として生きる覚悟がどこまでできて、その言葉を使いますか。



