悲観的な予測をする傾向 | kyupinの日記 気が向けば更新

悲観的な予測をする傾向


Panic(Morrissey)Live Benicassim 2006

広汎性発達障害あるいはその辺縁にある比較的高機能の人たちと話していると、しばしば実際に沿わない悲観的未来予測がみられることに気付く。

この傾向は、しばしばその後の本人のライフイベントでの人生の選択に重大な影響を及ぼす。例えば、志望大学や希望する就職先、あるいは結婚するかどうかなどである。

広汎性発達障害の人は、近未来の予測は苦手である。これは急にスケジュールを変更された際や、思わぬ事件が生じた際に、混乱やパニックを生じやすい傾向に繋がっている。

過去ログに、彼らが会社に行った際にその日のスケジュールが変更されていると、非常にストレスを感じる話をアップしている(不確実さへの感覚、評価 )。

内因性うつ病では、その病態から予測範囲の悲観・絶望に収まっていることが多く、改善するとほとんどその傾向が見えなくなることが多い。

また統合失調症の場合、論理的な一貫性に欠ける思考障害があるためか、奇妙なほど楽観的だったり、悲観したかと思うと楽観的なことを話したりと、まとまらないのが特徴だと思う。そもそも統合失調症の場合、状況にそぐわない極端な誇大妄想を持つことさえある。

軽い広汎性発達障害やそのスペクトラム上にある人たちは、些細な失敗体験の積み重ねから経験的に明るい未来を描けないでいる。このように考えるのが最もわかりやすい。

既に実生活でかなり成功を収めている人たちにも、その傾向があることに驚く。これは今までの積み重ねがそうならざるを得ないのであろうが、少なくとも、治療者の立場からは、その考え方は行き過ぎだと示唆すべきだと思う。

しかし仔細に診ていくと、自らの失敗体験や自己評価の低さと直接関係のない事柄にまで悲観的未来予想になりやすい傾向を見出せる。この点を考慮すると、一見、わかりにくい彼らの行動をうまく説明できることがある。

彼らは、自分の生活歴と無関係の友人や社会などの将来もしばしば悲観的予測をするのである。全般的に、あらゆる物事に楽観的になれない。

上の挙げた映像は、モリッシーの「パニック」のライブである。「パニック」はシングル盤として発売され、後にコンピレーションアルバムにも収録されたが、短い楽曲であるものの、色々な意味でかなり話題になった作品である。

当時、この楽曲はモリッシーの音楽観には人種差別的なものが大きく入り込んでおり、このパニックはそれをよく表現していると批判された。パニックでは、サビに「DJを縛り首にせよ!」というフレーズが出てくるが、これはこの楽曲が生まれた背景から来る。

ちょうどチェルノブイリ原子力発電所の事故が起こった当時、そのニュースを知らせるラジオ番組の直後、DJは能天気に明るいワムの楽曲をかけたと言うのである。

モリッシー自身がこれほど深刻なパニックになっているのに、あのDJはけしからんと言うわけである。

実際、チェルノブイリの事故は深刻だったものの、当時イギリスに住んでいた一般人はモリッシーほどの絶望感はなかったと思われる。

モリッシーに限らず、広汎性発達障害の人々には悲観的未来予想図がみられやすい。

現在、日本の福島第一原子力発電所事故も収束には相当に時間がかかりそうだが、少しずつ改善しているようには見える。

事故当時、海外のサイトでは日本の国土は狭い上、海外から見ると福島は東京に近いこともあり、東京に旅行に出かけることすら危険であるように語られた時期もある。(2万年は住めないみたいな)

ところが、福島の原発近辺の避難地域はともかく東京は全く安全なことがわかり、その後、2020年の東京オリンピック開催が決まっている。世界の人々が真に原子力発電所事故が危険だと判断したとしたら、東京で開催を決めるわけがないと思う。東京オリンピックの開催は、過度に恐れてもおかしくない日本国外の人たちが決めたのである。

2011年当時、ほんの数年後、これほどまで日本に海外の旅行者が殺到すると予想できた人は極めて少なかったのではないかと思う。当時の震災・原発事故の将来的悲観は、やはり過剰だったのである。

西日本では、福島第一原子力発電所事故以後、単身で移住してきた人がいるが、仔細に生活歴を聴取すると、避難するほどの地域ではない市町村から避難してきている人たちもいる。彼らの決断には、悲観的な未来予測が大いに関係している。

沖縄には、福島第一原子力発電所事故以後、移住した人たちのコミュニティがあると言う話だが、あるメディアでは、従来から住んでいる沖縄の人たちに溶け込めず結果的に迷惑をかけていると言った話を紹介していた。(そもそも、沖縄は地政学的に安全とは言い難い)

つまり、原子力発電所事故に対する過剰反応も、精神症状の1つと見なした方が色々な辻褄が合うのである。インターネットで、原発事故が過剰に語られるのもそのことが大きい。

当事者ではない平均的な日本人は、震災および原発事故は極めて不幸な事件で今後も困ることではあるが、だからと言って自分がどうすることもできないので、これまでの生活を続け、見守っていくしかないと言った感じだと思われる。

過剰な不安や反原発運動が、福島の原発事故の収束をより早く改善するとは思えないからである。また、その反原発運動が日本にとってより良いものかどうかも今のところ疑わしい。

反原発運動をするような人たちは、いわゆる食品添加物、予防接種のワクチンの危険性や向精神薬の副作用に極めて敏感である。また実際に、アレルギーを持つ人も多い。アレルギーがあるから敏感になるわけではなく、最初からその特性を持っているのである。

自閉症の概念が広がり、カナーが報告した典型的タイプ以外にも、他の人から話しかけられれば応対するが、自らは積極的にコミュニケーションをとろうとしない「受動型」、および自分から積極的に話かけようとするが、その内容や関わり方が一方的で相手の反応に無頓着なため、相互的になりにくいタイプを「積極・奇異型」などと呼ぶようになった。

このうち、後者の「積極・奇異型」でも上記に挙げた特性を見出せる。一見、そんな風でもないように見えても、その特性があることは特筆される。

僕は東北地方の支援もかねて、ふるさと納税の制度を利用して、その地域に納税をしたところ、送られてきた農産物には、放射能検査で全く問題がないと言う証明書が添付されていた。

遠方の人には良くわからないと思われるので、そのような配慮もされているようである。

個人的には、色々な人たちがあらゆる(精神科的)スペクトラム上に存在するので、その意見が何がしかの精神科的背景に基づくものだとしても、それは世論であるといった考え方をしている。(100人に聴きました的な)

つまり、全て同じような意見ばかりだとしたら、それは世論としてむしろ危険なことだと思う。


参考
人の判断に興味がある
マーガレット・サッチャーとモリッシー
希死念慮とモリッシー
不確実さへの感覚、評価
2ちゃんねるとアスペルガー
向精神薬のスティグマと離脱症状について