聖地が教えてくれた「最強の真言」――生死を分けた旅の終わり | 天宮光啓塾 生かせいのち(生き方塾)

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南無大師遍照金剛

合掌

【お知らせ】 

 

この記事は、note「世界が壊れたあとで ―― 喪失から再生への巡礼記」の続編(【最強の真言】万象の響きに抱かれて)の転載です。

 

より詳細な文脈や、他の連載エッセイにつきましては、ぜひ「マガジン」も併せてお読みいただけますと幸いです。

 

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第4回:【最強の真言】聖地を巡る問い ―― チベット・インド・ネパールでの求道と気づき

 

二度の「世界の崩壊」を経て、私の内から突き上がってくる抑え難く、燃え盛るような求道の炎は、かつて空海が荒波を越えて唐を目指したその足跡を辿るかのように、私を未知なる源流へと駆り立てた。

 

 

「極限状態の中にいた私を包み込んだ、あの響き。あれは一体、どこからやってきたのだろうか――」

 

 

その核心に触れるため、私は一衣一鉢(いちえいっぱつ)の心境で、仏教の根源的なエネルギーが渦巻くアジアの聖地へと旅立った。
向かったのは、世界の屋根・チベット、混沌と再生の国・インド、そして釈尊誕生の地であるネパール。そこには、日本で机を並べて学ぶ「学問としての仏教」とは対極にある、剥き出しの生と死が明滅する、圧倒的な生命の律動が広がっていた。

 

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最初に足を踏み入れたチベットは、圧倒的な大自然の威容をもって私を迎えた。

 

 

標高3,000メートルを超える高地では空気が薄く、一歩大地に足を踏み出すたびに心臓が激しく脈打つ。
容赦なく照りつける太陽と、すべてを凍てつかせる夜の極寒。生きること自体が過酷なその地で、私は五感を激しく揺さぶられる光景に出会った。

 

 

五体投地(ごたいとうち)――。両手・両膝・額を地面に投げ伏しながら、何千キロもの聖地への道を黙々と進む。気の遠くなるような時間だけがただ流れる。彼らの衣服は擦り切れ、顔は泥と砂埃で黒く汚れている。しかし、その瞳は内なる輝きを宿し、そして、口元からは、一筋の響きが、絶え間なく紡ぎ出されていた。

 

 

「オン・マニ・ペメ・フム」

 

 

観音菩薩の真言である。その声は決して大きくはない。しかし、幾千、幾万もの人々が積み重ねてきたその言霊は、チベットの乾いた大地に深く染み込み、祈りの結晶となって澄み渡っていた。
万象の根源から溢れ出すその一音一音に宿る観音の慈悲は、私を大きく包み込み、震えるほどに心の琴線を打ち鳴らした。

 

 

彼らは、現世の利益を求めて祈っているのではない。ただ生きること、あるいは生きとし生けるものが救われることを、呼吸するように真言に託している。その純粋な響きに触れたとき、私の胸は激しく震えた。
真言とは、頭で理解する呪文ではない。生きる営みそのものだ。魂の叫びそのものなのだと、言葉を介さず理解した。

 

 

チベットの静寂から一転、仏教生誕の地・インドへ向かうと、今度は凄まじい「混沌」が私を圧倒した。うねるような人波、容赦ない熱気、クラクションの轟音。そして聖なる川・ガンジスの畔に漂う、火葬場から立ち上る煙。生と死が、これほどまでに飾り気なく、生々しく混ざり合う場所を私は他に知らない。

 

 

ガンジスの畔で、夜の礼拝(アールティ)を見つめていたときのことだ。無数の灯火が水面を照らし、激しい鐘の音とともに、神仏を讃えるマントラが夜空へとかき鳴らされる。その凄まじいエネルギーの渦中で、私はある奇妙な感覚に包まれた。
それは、かつてニューヨークのテロの渦中で感じた「世界の崩壊」の感覚、そして若き日に生死をさまよったあの暗闇と、時空を超えて溶け合うような体験だった。外側の喧騒と内なる記憶が、一つの巨大なうねりとなって私の魂を貫き、逃れようのない宿命のように重なり合ったのだ。

 

 

聖地で響く真言は、清らかな静寂の中だけに存在するのではない。 ネパールのルンビニでは、釈尊と同じ場所に座し、その聖なる気配を感じながら、静かに目を閉じた。

 

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そこには、チベットの峻厳さとも、インドの喧騒とも異なる、慈愛に満ちた「はじまりの静寂」があった。むしろ、人間の欲望、汚れ、悲しみ、あるいは「死」という絶対的な理不尽が渦巻くど真ん中でこそ、最も力強く鳴り響いている。仏たちが遺した響きは、私たちの弱さも、絶望も、そのすべてを包み込み、肯定するために生み出されたものだったのだ。

 

 

チベットの峻厳な静寂、インドの猛々しい混沌、そしてネパールの慈愛に満ちた静溢。これら三つの聖地が放つ圧倒的なエネルギーに身を浸し、数多の善知識(導き手)と言葉を交わすなかで、私の中の「問い」は、もはや疑いようのない一つの確信へと昇華されていった。

私はそれまで、自分を救ってくれる「外側にある偉大な何か」を探して旅をしていたのかもしれない。しかし、聖地の風が私に気づかせてくれたのは、全く逆の真実だった。

 

 

真言の源流は、チベットの高山にも、インドの聖なる川にもない。それはすでに、自分自身の内側に備わっているのだ、と。外なる聖地を巡る旅は、皮肉にも、私自身の魂の奥深くへと潜り込むための精神的な巡礼へと繋がっていたのである。

 

 

旅を終え、日本へと帰国した私を待っていたのは、僧侶としての、一人の求道者としての本格的な歩み、そして「あなただけの最強の真言」を求める人々との、新たなる出会いだった。

 

 


「世界が壊れたあとで」の続編

【最強の真言】『万象の響きに抱かれて』
【連載予定:全6回】体験から智慧へと昇華

第1回:プロローグ ―― 【最強の真言】二つの崩壊と、一つの響き:なぜ人は「最強の真言」を求めるのか(公開中)
 

第2回:【最強の真言】絶望の淵で響いた音 ―― 生死を分けた真言との邂逅(公開中)
 

第3回:【最強の真言】智慧の言葉、慈悲の響き ―― 観音・不動明王、真言の多様性(公開中)
 

第4回:【最強の真言】聖地を巡る問い ―― チベット・インド・ネパールでの求道と気づき(本記事)
 

第5回:【最強の真言】あなただけの「いのちの言葉」を授かる ―― 真言と響き合うために
 

第6回:【最強の真言】エピローグ ―― 世界が壊れたあとに、光を見出す

※この記事は、note「創作大賞2026」エッセイ部門への応募作品です。

 

 

 

 

 

 

 

プロフィール

 

雨宮光啓(あめみや こうけい)/ 天宮光啓(KOKEI AMAMIYA)

 

高野山真言宗 僧侶(阿闍梨)。高野山大師教会光寿支部 支部長。 総本山金剛峯寺 阿字観指導員(能化心得)。 高野山大学大学院密教学科修士課程修了(密教学修士)。近畿大学法学部卒業(法学士)。2024年、仁和寺にて悉曇灌頂を授かり、澄禅流悉曇を継承。

 

著書:『空海散歩』(筑摩書房、第6〜10巻・共著)。

 

自身の経験(9.11の被災、親友の自死)を機に出家。10代の頃に交通事故で生死の境をさまよう。そのことがきっかけとなりタントラ、ヨーガ、瞑想に興味を持つ。2014年(四国霊場開創1200年)に、亡母追福菩提を祈り歩き遍路をおこなう。チベットで「天」、高野山で「光」の一字を授かる。初心(菩提心)を忘れないために「天宮光啓」の名で活動。

 

 

チベット聖地巡礼:求道と気づきの旅