プロフィール2のつづき。

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大学時代。バレーボールでの挫折


高校に入る前から決めていた筑波でのバレー。
周りは新しい仲間を作り、明るいスタートを切っている春に、僕は6畳一間の薄暗い学生寮にひとり閉じこもっていました。

「何のためにここに来たんだろう」と。

好きだと思っていたバレー。
思い返すと高校時代に監督と合わず、気がつくとバレーが嫌になっていたのでした。

それでも高校時代続けられたのは、筑波でやるという想いや選抜チームがあったからです。
しかし、筑波に入ったことで、長年の目標が達成し、自分のなかでバーンアウトしてしまいました。
また頑張ろうと思う気持ちよりも、バレーがしたくない気持ちの方が勝ってしまったのです。

また自分の身長やレベルでは通用しないという壁もありました。
同学年には身長2m、全国優勝、オリンピック有望選手など強者ばかり。

田舎でエースアタッカーとしてやってきた僕は、アタッカーとしても、レシーバーとしても中途半端で全く通用しなかったのです。
(当時、リベロもまだルールでありませんでした)

大きな挫折感を感じました。

バレーの才能にも、自分のバレーに対する気持ちにも。。


親のありがたみを初めて知る


それまでまともにフライパンも持ったことのない少年が 、一人暮らしを始め、心細さも加わたったため、余計に続けられないと思ったのだと思います。
一人暮らしをして、はじめて親のありがたみが身にしみました。

ご飯は勝手に出てこないし、自由には責任も伴うとことに気がつきました。
恥ずかしながら大学生になり、1人暮らしをして初めて気が付いたのです。

僕は誕生日に「おめでとう」と言われるのが、ちょっと苦手です。

「バレーを辞めた」と、母親に電話で伝えたとき、こんな話をされました。

『あなたを妊娠したときに、婆ちゃんからは(母にしてみれば義母)産むなと言われた。
でも、私がどうしても欲しくて産んだんだ〜ありがどな〜』


バレーに挫折し、心をえぐり取られていた僕には、その言葉が心に深くしみました。
受話器を持つ手が震えていました。

もしかしたら生まれていなかったかもしれません。
母親が反対を押し切って産んでくれたから僕は今ここにいます。

それ以来僕にとって誕生日は母親に「ありがとう」と言う日だと思っています。

目的をもって目指してきた大学で、目的を失ってしまい。。
心が空っぽになっていました。

しかし、大学までやめる気にはなれず、その後は単位取りとバイトに明け暮れるようになります。

動いていなければ、どうにかなってしまいそうで。
母親からの言葉を胸に、卒業まで何かを見つけられればいいと自分に言い聞かせて。


つづく
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