数か所追加したので再UPしました。
昨日の続きです。
今回は西の丸です。
2019年10月13日訪問しました。
休耕田に植えられた、大分市郊外
のコスモス畑です。
府内城西の丸に入る土橋と門です。
この土橋と門は江戸時代には、下図
よりありませんでした。
工事用の大型車両を通すための橋
です。
正保年間(1645~1648年)の古地図
です。(大分市Webページより引用)
これは慶長10年(1605年)の古地図です。
下図②の辺りにある橋がありません。
水色に塗った内々堀が1921年(大正10)
に埋め立てられました。
現在地にあった案内板です。
赤丸番号は私がふりました。
赤い線に沿って歩きました。
グーグルより引用の府内城です。
④の四角い空き地は駐車場です。
府内城解説板です。
内々堀が1921年(大正10)に埋められました。
この地図は下図のピンク枠線内です。
明治6年には中堀と外堀が埋められ
ました。
下図①の辺りから入口③方向です。
左にカメラを回すと
内堀と西の丸石垣です。
野ずら積の古い石垣です。
②の辺りから撮影しました。
内堀の右側が見えます。
櫓は西の丸隅櫓です。
内堀の右側です。
上図③の所です。
秋祭りで模擬天守や祭りの山車が
置いてありました。
西の丸隅櫓です。(再建)
下の石垣部分が予算不足で1本足に
なっています。熊本城のように自然に
出来たものではありません。
左にカメラを回すと
宗門櫓です。
現在修理中です。
宗門櫓です。
安政の大地震(1854年)に倒壊し、
幕府に願い出て、1859年に再建
されたものです。2階に扉が見えま
すが、この下に石段がありましたが、
明治時代に取り壊されました。
人質櫓とともに2つだけが江戸時
代の建物です。
左が西の丸隅櫓で、右が宗門櫓です。
さらに左にカメラを回すと
秋祭りの山車と祭り用の模擬天守です。
さらに左にカメラを回すと
本丸櫓台が見えます。
下図水色に塗った部分が内々堀ですが、
山車が置いてある辺りに内々堀があった
ようです。埋め立てられてありません。
内々堀部分が分かるように水色タイル
を敷いてもらいたいですね。
1605年の古地図です。
振り向いて撮影した、西の丸入口です。
西の丸には御殿がありましたが、現在は
大部分が駐車場です。
今回はここまでで、明日に続きます。
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