府内城(日本100名城) 3 大手門から三階櫓跡 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は大手門から三階櫓跡です。

 

本丸櫓台です。

石垣はの野ずら積の石垣で、竹中重利

時代のもので、1600年ころのものです。

 

グーグルで見た府内城です。

 

下図④の辺りから見た本丸天守台と

その右にイベント用の模擬天守です。

 

現在地にあった案内板です。

 

上図④から⑤大手門方向です。

この大手門を抜けて外側から見ると

 

外側⑥から見た大手門です。

形態は多聞渡櫓門です。

1945年の大分空襲で焼失

しましたが、1966年に再建

されました。

右にカメラを回すと

 

周囲より大きなかがみ石があります。

廊下橋を渡るとこの鏡石がみえ

ました。

 

 

 

今は埋め立てられて土橋になっていますが、

江戸時代は廊下橋がありました。

 

 

 

⑥から見た到着櫓です。

 

⑦辺りから見た土橋と大手門です。

この土橋中央の道部分が江戸時代

は木造の廊下橋でした。

堀の水は毎日入れ替わるそうで、

透明できれいな状態です。ガイド

さんの話では、だれかが放流した

ピラニアも住んでいるそうです。

 

大分大学図書館蔵の1605年の古絵図。

廊下橋付近を拡大すると

下図になります。

 

1605年の地図です。

廊下橋が描かれています。

 

土橋の上から西の丸方向です。

宗門櫓とその向こう側には西の

丸角櫓が見えます。

宗門櫓は2階ですが、外から見

ると1階に見えます。

 

下図⑦から見た到着櫓です。

東の丸南西隅にある到着櫓

は二重櫓で、1945年の大分

空襲で焼失しました。

現在の到着櫓は1966年に

再建されたものです。

もともと海城なので、地盤が

脆弱だったために、石垣の

土台となる犬走が頑丈に造

られています。

 

 

 

⑦から少し⑧方向に行った所から

撮影した、到着櫓と大手門です。

 

⑦から⑧方向です。

東の丸のもともとは平櫓です。

現状2階櫓なので、行き過ぎた

再建の模擬櫓です。

1966年に建てられました。

 

下図⑧から撮影した平櫓(現状2階櫓)

と、その右に三階櫓跡石垣です。

三階櫓は1599年に福原直高が

建てた櫓です。1743年の大火で

焼失しました。

福原直高は石田三成の親戚であ

る上に、朝鮮出兵で武将の働き

ぶりを秀吉に報告する役もあった

ので、三成と同様に東軍の武将

達から嫌われていました。

1600年の関ケ原の戦いでは、

最後まで大垣城を守りました。

最後は降伏して切腹させられ

ています。拝領した名刀を渡し

た東軍武将に、助命嘆願して

もらいましたが及びませんでし

た。

 

 

 

 

 

解説板です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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