長篠の戦いこぼれ話1 落ち武者の望月重氏 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

ガイドで郷土史家の、大林輝久(元小学校校長)さんの史料に、

長篠の戦のこぼれ話が1~16までありましたので、その一部を

引用させてもらいました。ほとんどは地元の昔話です。

 

今日は望月義勝(重氏)のこぼれ話です。

 

望月氏は信濃佐久郡望月邑に住んで望月太郎を称したこと

に始まると伝えられます。ちなみに、望月則重の嫡子重道の

流れは海野を称し、その後裔に真田氏がいます。

その望月重氏は屏風図では、真田氏と同じ武田右翼隊とし

て、戦いに参加しています。

 

屏風図上の方に望月重氏の姿が見えます。

 

武田軍の敗走で、望月主従は信濃を目指して落ちていきま

す。御園を通り御園峠に向かう途中で日が暮れたので、夜

明けを待つことにします。家臣が近くの1人暮らしの老婆の

家で、食料を分けてもらいます。しかし、その老婆は家臣が

去ると、家を出て逃げました。これを見た家臣は望月重氏

に駆け寄り、落ち武者狩りの農民が来る前に峠を越えた方

がいいと進言して、先を急ぎました。

しかし、勝手知った農民たちに先回りされて、峠に着く前に

農民達に囲まれます。抵抗したものの家臣はすべて竹槍

で打ち取られて、望月重氏1人になります。

 

(ガイドの大林輝久氏作成の地図)

 

 望月重氏は「名乗りを上げて、ここで命果てるのも運命

だ、わが首持っていき手柄にせよ。しかし、竹槍で討たれた

とあっては武門の恥、切腹するが、願わくばわがむくろと

家臣の遺体は、信濃からの風が吹き通る峠に埋めてくれ」

と頼み切腹して果てます。

農民達は武具や刀剣を奪い、遺体は谷底に投げ捨てまし

た。しかし、その夏に疫病が流行り、その老婆や多くの村

人が死にました。これは望月様の祟りに違いないと、奪い

取った物とともに、谷底の遺骸を峠に運び、そこに祠を建

てて懇ろに供養しました。そうしたら疫病がぴたりとおさま

りました。

 その後、御園峠(海抜820m)を望月峠と呼ぶようにな

りました。

 


これで長篠城の紹介を終わります。明日から他のこぼれ話もUPします。

 

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