適塾の紹介3 最終回 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

適塾(てきじゅく)は、蘭学者・医者として知られる
緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の
私塾です。正式には適々斎塾(てきてきさいじゅく)
といいます。また、適々塾とも称されます。緒方洪庵
の号である「適々斎」が名の由来です。

適塾の紹介のつづきで2階からです。
2階への急な階段を上がると、直ぐに
住宅模型があります。


適塾のジオラマ

下の部屋見取り図と比べると、立体的に理解できます。
少し違いがありますが、下の図の方が正確です。




2Fに上がり、女中部屋⑫から、
階段の方を振り返り見たところが下の写真です



次はヅーフ部屋です


⑬のヅーフ部屋です

ヅーフ部屋とはヅーフ(長崎商館長)の作成した辞書
のある所です。オランダ書籍の翻訳に役立ちました。



門下生の数は、1844(弘化元)年以降の入門者の
署名帳「姓名録」に記載されただけでも636人、この
ほかに通いの塾生や1843年以前の門人等を含めると、
史料から判明する範囲でも、1000名を超えるものと
推定されています。塾生以外に教えを乞うた者も多数
あると考えられます。

次は、その塾生が寝泊まりした大部屋です。


⑭の大部屋です
塾生は日本全国から来ているので、その人達に
この大部屋を宿泊場所として貸していました。
塾生1人一畳が使えましたが、成績のいい者から
好きな場所を選べたようです。出入り口辺りの畳
は最悪だったと思います。






同上


中央の柱には刀傷が残っています。


刀傷の跡です

最後にこの部屋の窓から外を見ると


1Fの中庭が見えます。
この反対側の窓からは

正面外の道路が見えます。
適塾のすぐ西側には銅座があり、シーボルトやオランダ商館員も宿泊し、
蘭書の取引なども行われました。また、東には長崎俵物会所もあり、江戸
時代において海外の先進文化の入口であった長崎との文化的な距離も
密接でした。


今日はここまでです。
明日は中之島図書館の紹介です。

読者相互登録しますので、読者登録お願いします。

ぷチッとブログランクボタン押し、

よかったらよろしくお願いします。

ブログボタン押しよろしく→お願いします。

にほんブログ村

ブログボタン押しよろしく→
お願いします。
街・建物写真 ブログランキングへ