今日は江戸町人の暮らしの紹介です。
江戸東京博物館の特徴は、国立博物
館と違い、ジオラマなどの立体モデル
の展示が多いことです。
最初は両国の江戸時代のジオラマで
す。

両国橋とその先にある芝居小屋のジオラマです。
花火の上がる浮世絵では
花火大会で、両国橋周辺の浮世絵です。

中村座の実物大の模造座があります。
この中では歌舞伎などの出し物があります。
次にお米の価値

ということで、1石とは約180kgとなります。
今のお米の値段が10kg約4千円なので、
1石は7万2千円です。
100石取の武士の年収は、年貢を6割とし
て、100×7.2×0.6=432万円です。
それで奉公人も雇うので、安月給ですね。
町支配の仕組みは

町では家や土地を借りている人が多かったようです。
多くは裏長屋に住んでいます。家主の五人組があり
その上に町名主がいます。

町人長屋の説明板
次に、商家の代表として越後屋のジオラマが
ありました。
越後屋の説明板
この店の平面図は

ジオラマは赤枠の中にある東見世だけです。本見世がまだあります
ので、その大きさが分かります。
次は草紙屋です

浮世絵を販売する草紙屋
本屋は,宗教書,学問書,教養書などの書物を商う者
でした。これに対して,娯楽的な書物は草紙(草子)とい
われ,これを商う者は草紙屋,絵草紙屋と称された。
江戸時代には総称して本屋ともいったが,正式には
取扱い品目、名称が区別されていました。

庶民の読みもの説明板
最後に、町人だけでなく、武士も利用した吉原

吉原に行くための経路案内板
明暦の大火(1657年)で日本橋の吉原遊廓も焼失します。
幕府開設の頃とは比較にならないほど周囲の市街化が進ん
でいたことから、浅草田圃に移転を命じられた。
以前の日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原
(略して吉原)と呼びます。江戸城の北に当たるところから
「北国(ほっこく)」または「北州(ほくしゅう)」の異名もあります。
新吉原の浮世絵
今日はここまでです。
明日から国立西洋美術館の紹介です。
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