今回はシンガポール・マレーシア・ベトナムに旅行
したので、ポルトガルの東南アジア拠点のムラカの紹介
です。
ムラカとはマラッカのことです。海上交易で1400年代
に繁栄していたので、1511年、ポルトガルのインド
総督アフォンソ・デ・アルブケルケが攻撃したのです。
当時マレー半島には9人の王様がいて、イスラム教徒で
した。ムラカの王様は1度目は撃退したのですが、2度
目の攻撃で負けてしまい。王様は落ち延びています。
伝説ではどこかの村に隠れ住んだとされます。なので、
現在マレーシアは8人の王様が5年任期の互選(現実は
持ち回り)で1人の国王を選んでいます。ただし、日本
と同じ立憲君主制なので、実権は国会と首相にあります。
最近ポルトガルに征服されて落ち延びた9人目の子孫を
探したそうですが、なにせ事が500年前のことなので、
子孫である明確な証拠を出せる人がいないため、立ち消
えになりました。
ポルトガルがマラッカでやった事を知れば、日本では
バテレン追放令が出ても仕方が無いと思います。
イエズス会といえば、EUでは謀略好きな人たちと言わ
れる事が多いとか。
クアラルンプールにあるマレーシアの王宮
去年完成したそうです。
ポルトガル時代には要塞(サンチャゴ砦)や丘の頂上に
セントポール教会が建設され、司令官が常駐していました。
イエズス会のフランシスコ・ザビエルはここから東アジア
布教に出発しています。下の地図右下に丸い丘があります
が、ここがポルトガルの東南アジア地区の支配拠点でした。
落ち延びた王様もここに王宮がありました。2008年に
世界遺産となり。王宮が復元されています。
1620年頃にオランダの支配を受けたときも、この丘が
支配の拠点でした。
現在のマラッカの市内地図で、今は海が埋め立てられてます。
落ち延びた王様の王宮(復元されたもの)です。今もここ
マラッカ州の王様の子孫は行方不明です。
ザビエルの像と後ろがセントポール教会
セントポール教会の丘から見た海です。当時はこの丘の下は
すぐに海でした。
フランシスコザビエルがこのセントポール教会から
日本などに布教にきています。彼が中国で病死(49歳)
したときも、数年間だけこの教会に安置され、後に
インドのゴアに安置されます。1600年頃なので
オランダが攻めてきたためと思います。
セントポール教会の屋根は戦争で破壊されました。
ザビエルの安置された所(今も賽銭が上げられます)
のみ屋根があります。
オランダ軍の攻撃に備えて築いたサンチャゴ砦の門の部分で、
左上がセントポール教会です。周りに銅製の旧式大砲が並んでます。
おそらくオランダは、射程の長いカルバリン砲で海上から攻撃したと
考えられます。ここに並んだ大砲はオランダ軍船に弾が届かなかった
と思います。(大砲の性能は7月13日のブログで紹介してます)
1700年頃のオランダ支配時代のマラッカです。
右のこの丘の周囲には城壁があり、外はすぐに海です。
ポルトガル時代もこんな感じと思います。オランダ支配
時代の話は次回にします。
これらの写真は2013年7月29日・30日に撮影したものです。
私の顔写真はアメンバーになってくれた方には公開しています。








