こんにちは。
北海道札幌市の介護と子育ての同時進行・ダブルケア支援研究者の野嶋成美です。
個人とか個性とか、「私」にとらわれ過ぎて苦しくなることありませんか?
「私とは?」
「私の得意は?」
「私の個性は?」
「みんなそれぞれ違っていい」
そんなこと言っているのに、ちょっと違ったことすると叩かれたりする世の中。
「普通は・・・」「みんなが・・・」なんて責められてしまいます。
結局、「私とは?」って他人の目を意識しながら考えること。
和を乱さない中で、個性を発揮するなんて、無理なことのような気がします。
私は子供のころから、「変わっているね」「個性的」と言われていたので、「みんなそれぞれ違っていい」となってホッとしたんです。
でもね、やっぱり「普通」があって、そこに収まらないといけない場面が多くて。
頑張って、本当に頑張ってそこに収まろうとするけれど、はみ出ちゃう。
そこに、生きにくさを感じています。
最近、こんな話を聞きました。
「日本人はもともと《個人》という考え方はなくて、常に《我々》だったんだよ」と。
個人主義という考え方は西洋から入ってきたそうです。
なるほど。
八百万の神など、どこにでも神がいると信じていた日本人と一つの神を信じている西洋では根本的に違いがあるかもしれません。
それを無理に《個人》として考えると苦しくなっちゃうのかも。
ということは日本人は中途半端な個人主義ってことなのかな?
「自己責任」とかも、我々が混在しちゃっている?
だから、なんだか「自己責任」って厳しい規則のように感じるのかな?
この疑問はAIに聞いてみようと思います。
納得のいく答えが出たら、ブログに書きますね。

