先日、岐阜県の山奥にゴルフ行きました。それはまだスコア投稿しておりませんが、ゴルフ帰りに谷汲山華厳寺に寄りましたので、そのことを書こうと思います。
谷汲山華厳寺
谷汲山華厳寺は、西国三十三所の満願霊場となってます。
満願というのは、願いが満ちると書いて「まんがん」。つまり、33ヶ所すべてを巡り終えた人が、最後にたどり着く場所という意味です。スタートではなく、ゴール。お願いをする場所というよりも、ここまで来られたことに感謝を伝える場所。
実は近くに名鉄谷汲線があり駅も近くなのですが、それが廃線となってしまい、参拝者・観光客が激減したとのことです。たしかに参道を歩いてみても寂しさがありましたけど。
参道を進んでいくと、正面に現れるのが谷汲山華厳寺の仁王門で、その両脇には阿形と吽形の仁王像が立ってますが、実際に目の前にすると単なる像というよりも、この先が日常とは違う場所であることを示す境界のような存在に感じられ、外の世界から内側へ入る前に一度立ち止まらせる力があり、どこか余計なものを置いていけと言われているような空気が漂っていて、谷汲山という場所の本質はこの門をくぐる前からすでに始まっているのだと自然に理解させられた。
仁王門は宝暦年間に建立だそうですが、仁王像の方は修復を重ねており江戸時代に修復したであろうと言われているようです。
谷汲華厳時の本殿です。谷汲山華厳寺は平安時代の創建と伝わり中世には西国三十三所の満願霊場として修験道や巡礼信仰の中心的な役割を担い戦国期の動乱を経ながらも信仰は途切れず江戸時代に寺院建築が整備されて現在の姿となった「信仰の歴史が千年以上積み重なった場所」と言われております。
谷汲山華厳寺は平安時代に始まる長い信仰の歴史を持ち、西国三十三所の満願霊場として多くの人の祈りを受け止めてきた深みのある場所なのですが、実際に訪れてみると往時の賑わいに比べて人の流れは穏やかで、どこか時間がゆっくりと止まったような静けさが漂っており、それを錆びれてきたと感じるのか、落ち着きを取り戻したと感じるのかは見る人次第です。
時代の流れの中で巡礼文化そのものが日常から少し距離を置かれるようになった結果なのか、それとも本来の静寂に戻っているだけなのか、答えははっきりしないままですが、ただ確かにここには今も長い歴史の重なりが静かに残っている。
しっかりと、御朱印も頂きました
3枚セットだそうです








