奇跡のリンゴの話 2 | 太陽と月のしずく

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あまやどりの店主 アリアこと 阿部直海のつぶやきブログです。

奇跡のリンゴの話のつづきです。

私は、木村さんを、ものすご~い
ご苦労をされながらだまって見守られたご家族に、感涙いたしました。
奥様のお話からです。

畑に忘れ物を取りに帰った妻が、偶然その姿に出くわしたことがある。
リンゴの木の傍らで、木村は誰かと話していた。
夕闇を透かして見ても そこには誰もいない。
畑に居るのは 木村一人だ。
けれど 確かに、彼は誰かと喋っている。
遠くて何を話しているかはわからないが、風に乗って木村の声が聞こえてきた。
謝っているような  懇願するような調子の声だった。
暫くすると まるで挨拶するように木の幹に手をかけ、隣の木に行く。
そこでもまた同じ調子で話し始める。
話しながら高い枝を見上げたり虫の食った葉を、そっと撫でたりしている。
どおやら木村が話している相手は、リンゴの木であるらしい。
まるで普通の人が話すようにゆっくりと畑を回って一本一本の木と話していた。
夫はついに、気が変になってしまったのだろうか
そお考えてもおかしくないところだけれど、木村の姿があまりにも自然なので、
その時はどおしても、そお言う風には思えなかった。
リンゴの木と話す農家が、一人くらい居ても良いとさえ思った。
一つだけ気になったのは、木村がリンゴの木と どんな話をしているかと言うことだ
った。  近寄って、話を聞いてみたいと言う衝動にかられたけれど、何とか思いと
どまった。 そんなことをしたら、何か大切なものが壊れてしまいそうな気がしたか
らだ。


あの時は、リンゴの木にお願いして歩いたの。
リンゴの木は、どんどん弱り始めてました。
おそらくは、根っこまでダメになっていたのでしょう。
ちょっと幹を押しただけで木がグラグラ揺れるようになった。
これじゃぁ かれてしまうと思ってな。
リンゴの木を、一本 一本周って、頭を下げて歩いた。
「無理をさせてごめんなさい  花を咲かせなくても 実をならせなくても良いから
どおかかれないでちょうだい」と、リンゴの木に話しかけていました。
何をしたら良いのか? もう わからないんだよ。
家族にそんなこと言えないから、今まで通り、畑の作業は続けていたけどな。
本当は  何にも出来ることがなくなって、後は、もう リンゴの木にお願いするし
かなくなったわけだ。

周りの畑の人が見たら、木村はとうとう頭まで、おかしくなったと思っただろうな。
だけどな  今にして考えてみれば、あのころの私が、一番純粋であったと思う。


今でも、木村は、リンゴ畑に居る時 リンゴの木に声をかける。
取材をしていても「いや わたしじゃぁ なくて、リンゴの木が、がんばったんです
。」と、言うようなことを よく言う。
それが謙遜していると言うより
後ろで聞いているリンゴの木を励ましているような調子なのだ。
「よく がんばったなぁ  すごいすごい」
妙なことを言うようだけれど
笑美を浮かべ 目を細めて、リンゴの木に話かけている木村の姿を見ていると 
本当に、心が通じているんじゃないかと言う気がしてくる。

そお言えば、風もないのに 枝が揺れ 葉がサラサラなっているではないか。
あぶない あぶない
と、思いながら、目を反らす。
もちろん それは、気のせいなのだ。
ただ一つだけ 間違いなく本当だと思えることがある。
それは、彼が本気でリンゴの木と話していると言うことだ。
自分の力ではどおにもならない事を、悟った時
彼は初めて、本当の意味で、リンゴの木と向き合うことができたのだと思う。
木村がリンゴの木に声をかけるのは、心からリンゴの木に感謝しているからだ。
相手が聞いているか どおかは、問題ではない。
リンゴの木は、リンゴと言う果実を生産する機械ではない。
リンゴの木もまた この世に生を受けた一つの命なのだ
当たり前のことのようだけれど
心から、そおだと思えることとは、また 別の話だ。
彼はそのことを、誰よりもよく知っている。
だから、リンゴに声をかける。
木村は、人と言う生き物として、リンゴと言う生き物と 向かい合っている。
きれいごとではなく
数限りない失敗と際限のないとろうを重ねた末に、ようやくそお言うものが見える場
所に辿り着いたのだ。

そして、荒れはてた畑を見回し
彼は、愕然としたのだ。
自分に何かができると思っていた時には、見えていなかったことが はっきりと見え
た。 木村の4つの畑には、800本のリンゴの木があった。
その800本の木が飢えて死にかけていた。
自分はいったい何と言うことをしてしまったのだろう。
そお思っても、彼にできるのは、リンゴの木に頭を下げることだけだった。
果実何課もう実らせなくていいから
とにかく かれないでくれ
生きてくれ
と、頼むことしかできなかった。
経験や知識ではなく
木村は自分の生身の心だけで、リンゴと向かい合っていた。
それを木村は「あのころが一番、純粋だった」と、言ったのだろう。
その日から、彼にはリンゴの声が聞こえるようになった。
葉の一枚 一枚
枝の一本 一本が、リンゴの声なのだ。
初夏の青々とした葉に、リンゴの喜びの声を聞き
秋の果実のズッシリとした重みに、感謝の言葉を聞く。
その声に答えて リンゴに声をかけるだけのことだ。
木村は今も、そお言う風にして リンゴと話をしている。
木村が過ごした苦労の年月は、結局のところ 自分の心で、リンゴの木と向かい合え
るようになるために、必要な時間だったのかもしれない。

木村が「バカになればいい」と、いったのは そのことだ。
人が生きていくために 経験や知識は欠かせない
何かを成すためには
経験や知識を積み重ねる必要がある。
だから、経験や知識のない人を、世の中ではバカと言う
けれど、人は、真に新しい何かに挑む時
最大の壁になるのは、屡その経験や知識なのだ。
木村は、一つ失敗するたびに 一つの常識を捨てた。
100も1000もの失敗を重ねて
ようやく、自分が経験や知識など 何の役にも立たない世界に挑んでいることを知っ
た。
そうして初めて 無垢の心で、リンゴの木を眺めることができるようになったのだ。
そお言う意味で、彼の達した心境は、一つのゴールではあった。
けれど、そこに到達したからと言って、何かが起きるわけではない。
リンゴの木と話したからと言って、奇跡が起きるはずもない。
彼が生きているのは、現実の世界なのだ。
一人の農民として 植物を育てて
糧を得る人間として、木村はそのことを身に染みて理解していた。
人の祈りや思いで、その摂理が動かされることはない。
そお言う現実の中で、木村は何かをしなければならなかった。
自分の知識や経験が何の役にも立たないことはわかった。
自分もリンゴの木も、この世に生を受けた一つの命だと言うことを知り
リンゴの木の在りのままの姿を、眺められるようになった。
けれど、その在りのままの姿とは、何もできない自分と 弱り切って死にかけている
リンゴの姿だった。
立ち止まっているわけにはいかない
どんな方向であれ 足を踏み出さなければならなかった。
そして、木村はとんでもない方向へと、その一歩を踏み出してしまう。
自分の無力を知った彼の
それは、当然と言えば当然の結論ではあったのだが
不思議なことに、それは神話の一つの形式に、奇妙なくらい符合していた。
死と再生の神話である。
リンゴの木と同じように木村も死にかけていたのだ。
そお考えれば、それも、彼が辿らなければならない道だったのかもしれない。   
{つづく}