奇跡のリンゴの話 | 太陽と月のしずく

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あまやどりの店主 アリアこと 阿部直海のつぶやきブログです。

私は、小説を朗読してくれているのを、音楽を聞くような感じで聞くのが大好きなん
ですが、秋と言う季節のせいもあるのでしょうか
最近、いつもより小説に嵌っていまして、テレビよりも色々聞きまくっていたのです
が、今、感動しまくって ものすご~く共感している本がありまして、この話をした
くってしたくってぇ
その本とは  ゴホン
 「石川拓治著  奇跡のリンゴ 絶対不可能を覆した農家 木村秋則の記録」

青森県で、無農薬のリンゴ栽培に、成功した方がいると言う話は、だいぶ前に聞いて
はいたのですが、「へぇ~ すごいね でも、高そうやなぁ」と言う言葉しかでてこ
なくて。。。
最近友人が「奇跡のリンゴの話を知ってる?」と、言って、私にその話の一端をして
くれて、思いっきり引き込まれてしまいました
私が、感銘・感動・共感をした話を少しつぶやきたいと思います。

 石川拓治著  奇跡のリンゴ 絶対不可能を覆した農家 木村秋則の記録から

木村秋則と言う人は、贅沢と言うことには凡そ興味をもたない人のようだった。
質素な農かの暮らしがそこにはあった。
畳や襖は、もう何年も変えていないらしい
近所の捨て猫をみんな飼ってしまうので、木村の家には、何匹もの猫が住んでいる。
襖を変えても 畳を新しくしても 直ぐに爪を立てられてしまうから変えないのだそ
うだ。
ちゃぶ台の上に、顧客管理のための年代物のパソコンが置いてある。未だにmsドス
のマシーンを使っている。
そのパソコンの隣には、リンゴの注文のファックスが山積みになっている・
最も近頃では、リンゴの注文だけでなく、木村に対する激励や人生相談のファックス
がやたらと増えたらしい。  若い人も多いけど お寺の住職さんとか お医者さん
 とかな。 色んな職業の人からな。
この前は、恐持てのお兄さん3人。 大きな会社に乗って、この家まで訪ねてきたよ
。  さすがに怖かったよ。
何事かと思ったらさ 
木村は、ある東北地方の大都市の名前を口にした
「何の様ですか?」って、聞いたら
「ちょっと電話に出てもらえませんか?」って。
携帯電話を渡すの。
電話の向こうは親分さんらしき人でさ
何を言われるかと思ったら
テレビ見て 涙が出た って、言うの。
ずいぶん久しぶりに泣いたって。
あんたと一遍 さしで飲みたいってさ。

木村の人生が、nhkの プロフェッショナル 仕事の流儀と言う番組で紹介された
のが、その12月の初めのことだった。
「あの時、あなたの喋った一言一言が心に残ってます」って、色んな人が言ってよこ
すんだけどな 私 何を喋ったべな バカだから憶えてないのさ。
歯のない口を大きく開けて笑った。
木村は、まだ50代なのだが、すでにほとんどの歯を喪っている。
僅かに残った歯も、茶色くなったリンゴの芯のようにチビテいて、物を噛む用をなし
ていない。
治療をするか でなければ入れ歯を入れれば良いのにと思うのだけれど
木村は それすらもしていない。
「私は、リンゴの葉と自分の歯を引き換えにしたのさ」と、ヘタなダジャレを言って
自分で大笑いしている。 一向に気にしていないのだ。
その笑い声を何とか読者に聞かせられないかと思う。
あんなに気持ちの良い笑い声は聞いたことが無い。
あ あ あ あ あ は音の混ざらない母音のあ の音だけが連続するその笑い声は
東野栄次郎が、演じていた頃の水戸黄門の笑い方に、ちょっとだけ似ている。
光圀の笑い声から偉そうな雰囲気を、きれいさっぱり抜き取って、陽気さをご割増に
すると 木村の笑い声になるかもしれない。
その雪の日から、ほぼ一年
暇を見つけては弘前へ遊びに行った。 彼の笑い声が聞きたいばかりに通った気さえ
する。 愉快なだけではなくて、木村の笑い声には、何か底の知れない力強さがあっ
た。
 もっとも、そおして彼から聞いたのは、笑って聞ける話ばかりではなかったのだけ
れど。
自殺を考えってたと言う人からも電話あったな。
大学院まで出た人なんだけどもな
親には 学費やら何やらで、沢山金を使わせてしまったそうだ
だけど、何をやってもだめで 就職口もないし 家えも戻れない
それで、死ぬことを考えていたんだけど
あのテレビ見て思い直しました。 やっと生きる気持ちがわきましたとな。
彼の経験した苦労や挫折の大きさに比べたら、自分の悩みなんて悩みのうちにも
入らないことがわかったと 若者はきっぱり言ったのだそうだ。
木村さんは、そう言う時どんな話をするんですかと、聞くと ちょっと考え込んだ。
「うん  とにかく思い直して良かったね」と言ったかな。
それから「バカになれば良いんだよ」と言いました。
バカになるってやってみればわかると思うけど
そんなに簡単なことではないんだよ。
だけどさ
死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみればいい。
同じ事を考えた先輩として、一つだけわかったことがある
「一つのものに狂えばいつか必ず答えに巡り会えることができるんだよ とな。
一つのものに狂えばいつか答えに巡り会う
木村の言葉は、木村の人生そのものだった。


  ここまでの話で、完全に引き込まれていました。。。

リンゴ栽培と並行して、トウモロコシの栽培を始めたのだ。
相棒はもちろん トラクター。
木村は真っ先に舶来品のトラクターを買った。
結婚した時に、持参金じゃあないけどさ 実家の父親が、田畑とそれから、ちょっと
まとまったお金を持たせてくれたのだ。
そのお金で、イギリス製のトラクターをかいました。
インターナショナルハーベスト社と言うメーカーだった。
雑誌とか本を読んで色々調べたら日本のトラクターでは30バリキより大きいのが見
つからなかったんだけれど、そのインターナショナルハーベスト社のは、45バリキ
もあった。 しかも、ディーゼルなのに予熱しなくてもエンジンかかるの。
ヨーロッパは、ディーゼルエンジンが進んでるからな。
これにしようと思って、住所調べて、イギリスに手紙を書いた。
感じやひらがなじゃ 相手がイギリス人だから読めないだろうなと思って、手紙はロ
ウマ字で書きました。 いや 英語はわからないからよ ロウマ字で書いたって言っ
ても、中身は日本語だ。 「torakuta no katarogu wo okutte kudasai kimura
akinori」  てな あ あ あ 
でも、インターナショナルハーベスト社は、ちゃんとカタログを送ってよこしたよ。
いくらしたっけな 確か150万円くらいでなかったか。
結構な買い物でした。 乗用車のクラウンが100万円くらいの頃だからな。
農耕器具って高いんだよ。
大きなトラクターだった。 タイヤだけでも木村の身長ほどの高さがあった。
ほとんどエンジンにカバーを付けただけの機能威っ点張りのロコツナデザインも木村
は気に入った。 もちろん、近所にそんな外国製の巨大なトラクターを持っている家
はない。

そして

整然としたトウモロコシ畑ができあがった。
品種はハニーバンタム 土地が良く肥えていたせいか、できは極めて良好だった。
ただ、タヌキの被害に悩まされた。
収穫間際になるとたっぷりと太ったトウモロコシが、ごっそり食われてしまうのだ。
それで、畑のあっちこっちにトラばさみを仕掛けた。
そしたら、小ダヌキがかかったの。
母親のタヌキがすぐ傍に居てさ 私が近づいても逃げようとしないのな。
トラばさみをはずしてやろうと思って手を出したら、小ダヌキはは歯をむいて暴れる
わけだ。
かわいそうだけど長靴で頭を踏んづけて、トラばさみをはずして逃がしてやった。
ところが、逃げないのよ。
私の眼の前で母親が子ダヌキの足 ケガしたところを、いっしょけんめい舐めてるの
な。 その姿を見てずいぶん罪なことしたなぁと思ったよ。
それで、もう食べに来るなよって、出来の悪いトウモロコシをまとめて畑の端に置い
てきた。 
トウモロコシを作ってると私の歯っかけのようなトウモロコシが結構できるのよ。
売り物にならない不良品だな。
それを全部置いてきた。
次の朝、畑に行ったら一つ残らず無くなってた。 と、同時に タヌキの被害が何も
無かったの名。 それで、トラばさみをやめて収穫するたびに、歯っかけのトウモロ
コシを置いてくるようにした。
それから、タヌキの被害がほとんど無くなった。
だから、人間がよ ぜーんぶを持っていくから被害を受けるんではないのかとな。
そんなことかんがえました。
元々は、タヌキの住家だったところを畑にしたんだからな。
餌なんかやったらタヌキが集まってきてもっといたずらするんではないかと思う所な
んだけど  そおはならなかった。
不思議だなぁ~って、思った。
自然の不思議さに目をひらかされたと言えばいいか
とにかく、自然は人間の計画道理には動かないものだと思ったの。
今考えてみれば、あのころが効率農業の転換期だったかもしれないな。  {つづく}