とにかく私はのほほんとした子供だった。小学生の頃、授業が終わり先生が「はい、机を後にやって掃除を始めなさい」と言っても、ぼんやり机を撫で撫でしていた。
「おい真知子、聞いてるのか」と言われハッとして動き出すといった有り様だ。
学校から帰ってくると宿題もせず近くの河原で石を投げたり草を摘んだりして時間を潰す。
案の定成績は中の下である。姉はとても成績が良かったので、いつも比較されて「何でこの子はやる気を起こさないのかね」と母を落胆させた。
最近、一冊から無料で出版してくれるところが見つかった。添削や装丁を依頼するといくらか費用がかかるそうですか、さほど高くはない。
全くの私小説だけど、生前整理のつもりで頼んで見ようかと思ったり思わなかったり。
ブロ友さんの記事にネギボウズが出てたのでスケッチをUPします。
今、近鉄特急で奈良に向かってます。
京都水彩画協会の写生会に参加します。
京都駅は外国人だらけ、日本人観光客も多いですが。
1枚目が水彩画
2枚目が日本画です。
「ご飯…」「あぁ…」
こんなありきたりの会話から日常生活が戻って来ました。
考えてみたら私は溜め込みすぎなんですよね。
一度カチンとくると、今まで言わずに飲み込んでいたことが止めどなく溢れてくる。
その時その都度ちゃんと?喧嘩しておけば、その場限りで済んでいたものを。
今日の京都の桜です。
思い起こせばコロナの始まった頃に夫と大喧嘩して葉山に行ったことがありました。
そして今コロナが二類から五類へという時期に差し掛かっています。
今、私の身の上には亡き父の家を売りに出すということに絡んで父方の兄妹と骨肉の争いが勃発しています。
何せ四人の兄妹は皆別々の家で育ったもので、お互いの腹の探り合い、信じたい、いや足元をすくわれかねないという状態が続いていて心がかなり弱っています。
このタイミングで夫は「どうせ皆、金が目当てというだけだろ」はぁ?私自身が言うのはともかくアンタが言う? 一緒に育っていなくても心のどこかに愛情の欠片が転がっている。
何十年一緒に暮らした人に気持ちが伝わらない。
また無言の日々が続いてます。あーぁ。
love&hate
父が出て行ったのは私が三歳の頃だと聞いた。もちろん私は何も覚えていない。ただそれまでは父が帰宅すると一緒にお風呂に入るのがとても楽しみだったことが脳裏に残っている。不思議なことに家を出た後も父はたまに遊びに来ていたし、時々待ち合わせて私をデパートやレストランに連れて行ってくれた。両親が離婚していたことを認識したのは小学四年の時だった。ある日何かの折に母の先夫の娘、つまり八歳年上の姉から告げられた。「ふうん、そうなの」と思っただけで特にショックを受けた覚えはない。でも何故私だけが父の姓を名乗り母や姉とは違うのだろうと思い母に尋ねてみた。「お父さんはこの先財産を残すだろうし、あなたが遺産をもらえるように戸籍はお父さんに渡して私が育てることにしたのよ」と。大人になって調べたらそんなことはどちらでも良く実子であれば相続権はあるのだ。母は無知だったのか、それとも父を奪った若い女への嫌がらせだったのか。時に学校では教師がうっかり姉の姓で私を呼んで、すぐに正し申し訳なさそうにするのだけれど、母や姉と姓が違うこともさほど嫌だとは感じなかった。
(続く)












