モモ | ricky321のブログ

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ドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデによる児童文学の名作『モモ』。1973年に刊行され、翌74年にはドイツ児童文学賞を受賞。「児童文学の最高傑作」との呼び名が高い一方で、現代を生きる大人にも多くの気づきを与えてくれる。
彼の父エドガーはシュールレアリスムの画家で、シュタイナーの影響を強く受けており、非常に教育熱心だったという。明るく前向きな母は、マッサージなどの資格を取得して家庭を支えた。少年ミヒャエルは、父の芸術性と母のポジティブさとを受け継いで成長した。幸福な家庭に育ったが、彼を取り巻く社会は激動の真っただ中にあった。少年時代に第二次世界大戦が勃発。友人の多くが戦場で亡くなったが、エンデは兵役を逃れ、抵抗組織で反ナチス運動を手伝った。
戦後すぐにシュタイナー学校へ転入するものの、退学して演劇学校へと進む。台本作家を目指していたが、子ども時代の激動の経験から「人生で最も大切なのは子ども時代である」と考え、友人から「絵本を書こう」と誘われたのをきっかけに、子どもの本を書き始めた。こうして、デビュー作『ジム・ボタンの機関車大旅行』が60年に誕生した。
本作品の主人公モモは、ある日突然、街の円形劇場の跡地にやって来て住みついた女の子である。人の話を聞くのが上手で、彼女と話をすると、誰もが満ち足りた気分になるという特別な才能の持ち主た。星の声に耳を傾け、宇宙の音楽を聴くモモは、人間の元来の姿、自然界の一員である人間そのものを具象化したような子どもなのである。
ある日、街に「灰色の男たち」が現れ、人々から時間を奪っていく。よい暮らしのためと時間を倹約し、効率の良さや成功と引き換えに、生きがいや余裕を失っていく人々の様子は現実の社会と重なる。
「時間とは、生きるということ、そのもの」
「人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ」
「じぶんの時間」を生きられなくなるということは、じぶんの色を失い「灰色の男たち」とそっくりになってしまうということ。
いかに生き、いかに死ぬか。『モモ』は時間を失いながら生きる我々に警鐘を鳴らす哲学書なのである。
※エンデは日本びいきであったことで知られる。彼は最初の妻と死別した4年後、『はてしない物語』を和訳した佐藤真理子と結婚した。【以上は佐藤優の本より】

カルビーのポテトチップスの袋についてやむを得ず袋をモノクロにすることが話題になっているけれども、これが「灰色の男たち」と重なる。灰色の男たちは、とにかく効率的に動くように人々に説く。例えば、従来お客との会話を楽しみながら調髪していた床屋は、人を雇って店が回転するように図る。男たちの指示に従えば確かに金銭面では不自由しなくなるが、常に忙しく精神的なゆとりを失ってしまう。どこかに勤めている方で、いつもコンビニ弁当とカップ麺という同僚はいないだろうか?時間は確かに節約になるかもしれないが、そこに楽しみはあるだろうか。無理して家を建てたがために通勤時間が掛かり、くたびれてしまうという人たちも都会には多い。
ネタばれになるが灰色の男たちは半分生きて半分死んでいる状態なのである。物語の後半でモモは亀と一緒に逃避行する。急いで逃げれば男たちもモモを容易に捕まえられたかもしれないが、亀に歩調を合わせ、つまりゆっくり歩くことで追跡を免れうる。
今の小生がそうであるが、正社員として働くよりも失業手当をもらった方が手元に残るお金は却って多くなる。不思議だが事実である。
豊かさとは何か?考えさせる物語である。形式的には童話であるが、決して子どもだけを対象として書かれた本ではないと思う。