リブログさせていただきます。繰り返しますが小生は基督教徒ではありません。
>アルバート・アインシュタイン
>「彼はクラスでも特殊な存在。10歳になるのに、
>ようやく簡単な読み書きが出来るようになったば
>かりである。頭は悪いし、友達とは遊べないし、
>バカげた空想の世界にいつまでも浸っている。
>この子に対して、あまり高い成果を求めるべきで
>はない」
「おとな」から無茶苦茶なことを言われたことはないだろうか。
小生は部活の顧問の先生から「腕をしっかり振れ、そうすれば速く走れる」と言われた。
が、鈍足のままである。トータルとして運動神経はそんなに悪い方だとは思わないが、速く走る、高く跳ぶといったごく基本動作はどうもいけない。とりわけ走り幅跳びはダメだ。
小生が卒業してしばらくすると、この部活は惨憺たるものになった。顧問の先生も何をどうやっていいのか分からなくなってしまったのではないか…と思う。なまじご本人の運動神経が抜群であるために、こと体育的なことに絞れば気合と根性でなんとかなったからであろう。勝手な想像だが、長嶋さんや王さんが、ごく普通の小中学生を指導したからといって、その子がどんどんうまくなる…ということはないだろう。モチベーションはアップするかもしれないが。
小生はかなりどんくさい子であった。傍(※)から見れば、今もかなり鈍臭いおっさんだろう。勉強はできなかったができないという自覚すらなかった。
親は学校の通知表を信頼する。これはどうしようもないことでもある。
右と左がわからなかった。
「お箸持つ方が右でしょ」は大人の論理である。「突然お遊戯の時間とか体育の時間に言われても思い出せない」というのが幼い小生の論理である。もっともそういう理屈は浮かばないから、今幼い自分を弁護している。
小2くらいになると鉛筆だこができるから中指の膨らんだほうが右だと自覚して解決した。小3になると家から学校までの道すじを描きなさいと言われた。すると「家を出て、東へ行ってつきあたりを南へ曲がる。そのまま南へ進んでつきあたりを東へ曲がる。東へそのまま進んで桜の木のあるところをを南へ曲がると校門だ。」つまり東→南を繰り返しているだけだと気が付いた。
そうか、家の出入り口からみた右が東だ
というのは大きな発見であった。少しは勉強ができるようなった。
これをご覧の親御さん、子どもさんを長い目で見てあげてください。「おかあさん、今日は母の日だね。いつもありがとう。」と言わなかった我が子を許してあげてください。
※「はた」のつもりで書きました。「端」と打つつもりが傍になりました。このように大人でも人にものを伝えるというのは難しいものです。
お読みくださってありがとうございます。