沢木耕太郎『一瞬の夏』より
(カシアス内藤はNHKのインタビューに応じる。長いブランクのあと復帰戦を戦う直前である)
「(セリフ前略)いつかボクシングというものを心おきなくできるチャンスがあれば、一度やっておきたかったんです。四年半やらなかったといっても、ボクシングが嫌いになったわけじゃないから」
私はふたりのやりとりを聞きながら、不思議な気分にさせられていた。内藤のこの十年に及ぶ起伏の多いボクサー生活も、言葉にすれば僅かにこれだけのものでしかない、ということにである。要約すれば確かにそれだけのものでしかない。しかし、その僅かな言葉の周囲に、どれほど多くの言葉にならない思いや出来事があったことか。だが五分や十分のインタヴューでは、どんなに優れたインタヴュアーでも。言葉にならぬ何かといったものまで引き出すのは無理なことかもしれなかった。
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小さい子ども、それも大事に養育された子であれば、言葉にならないもどかしさを涙にすることだろう。(特に小生はそうだった。言いたいことが表現出来ずにしばしば泣いた。)その訴えは、母親にはかなり通じた。
大人が誰かを「この人はこんな人だ」と‘評価’する。上司は部下を‘評価’する。影で、つまり現れない部分にどんなことがあるのか?簡単なことではない。
人は誰しも唯一無二の存在である。どんな点が唯一無二なんですか?と訊かれても、やはり言葉にはならない。自分で自分を愛し、育てるより他はない。
※カシアス内藤;ご存じない方はこちらを
写真は左から沢木耕太郎、内藤の息子、カシアス内藤
