「十年経っても書店に置かれていればりっぱ“古典”である」という佐藤優のことばは前に紹介した。
萬葉集、竹取、古今集、土佐日記、枕草子、源氏物語、更級日記、思いつくまま書いたが、それなりの理由があって今日も読まれているとみるべきであろう。
19-062『五重塔』幸田露伴
解説なしのものをカシオの電子辞書インストール版で読んで、追って解説注釈付きの書籍で読む形式を取った。
ハッピーエンドの終幕は意外だったけれども、読み継がれる理由は確かにある。職人気質で「オレがオレが」という意識の強い十兵衛、実際には妥協も必要だから生きていくために我慢もしてきただろうが、今回の五重塔再建に関しては、自分の宮大工として一世一代の仕事にしたいと願っている。一方の源太は、職人として優れていると同時に、経営感覚もあり、棟梁として人を束ねる能力もある。源太が譲って譲って結局再建のすべてを十兵衛に委ねることになる。スペシャリストとゼネラリストの対立する構図は昔からあったということ。人物描写がたくみで、また彼らの吐くセリフが活きている。
土佐日記は、文字通り日記形式で時系列どおり話が進み、「とくみやこへもがも」という焦りと相反し、風波待ちのために、「なほ同じ所にあり」「船いださず」「きのふの同じ所なり」「とどまりぬ」 と何度も繰り返される天気(てんけ)の不順、海賊への恐怖というリアリティがある。一方で歌人気質から、下々の者や童(わらは)の作る歌に感心したり腐したり、といった歌物語としての側面もある。
京に生まれし女児(をむなご)が土佐にて失(う)せた悲しみ、ときに嫌らしくもあって鼻にもつくのだが、現代小説と変わらぬプロットが用意されている。
忘れがたく、口惜しこと多かれど、え尽くさず。とても全てを書き尽くすことは出来ないとしながらも、そこは歌の名人。冗長になることを避けていると愚生は考える。昔も今も素人は、ショートストーリーにあらゆるものをぶち込んで破綻する。
生き残る古典は省略することによって余韻を醸し出しているのであろう、と浅薄なことを考えている。幸田露伴は十兵衛の塔を建てる過程は殆ど省いている。人のさまを描写することのみに集中しているのである。