小生は、辻村深月『鍵のない夢を見る』を高く評価している。この十年の間の直木賞受賞作では、朝井まかて『恋歌』と双璧ではないか。従来のファン(たとえば『ツナグ』や『ハケンアニメ』がお気に入りの)には不評のようである。「何を伝えたいのか分からない」「後味が悪い」「痛さが残る」だったとも。しかし、小生は逆に問いたい。「伝えたいことが明確で、後味がよろしくて痛くないのなら満足なんですか」と。
もうちょっと表現をどぎつくすれば、充分に純文学として通用するだろう。小谷野敦は「そういう描き方が、低□□の読者には不快であろうことは想像に難くないので、要するにこれは純文学なのである。」と見事に看破している。※□に当てはまる語はご想像にお任せします。
時に「何を表現しているのか分からない」「読んでいてイタくて辛い」のが純文学である。答えは簡単に見つかるまい。安部公房『砂の女』は高校生の時読んだが、社会人になって、それもいい大人なって、「経営陣にやる気がないんだ、だから俺たち社員の言うことに耳を貸さないのか」と絶望に陥った経験から理解できたし、同じく開高健『玉、砕ける』も老舎作品を読んで、その良さが分かったのである。https://blogs.yahoo.co.jp/go1963s38/48031279.html少し前に書いたが、林真理子の根性の悪さ全開の『源氏語り』であっても、ラスト、幽明の境で源氏を待つ六条御息所の独白に小生は落涙を禁じ得なかった(文庫版[鍵のない…]の巻末では林と辻村の対談を掲載しているが、これもおもしろい)。
もうちょっと表現をどぎつくすれば、充分に純文学として通用するだろう。小谷野敦は「そういう描き方が、低□□の読者には不快であろうことは想像に難くないので、要するにこれは純文学なのである。」と見事に看破している。※□に当てはまる語はご想像にお任せします。
時に「何を表現しているのか分からない」「読んでいてイタくて辛い」のが純文学である。答えは簡単に見つかるまい。安部公房『砂の女』は高校生の時読んだが、社会人になって、それもいい大人なって、「経営陣にやる気がないんだ、だから俺たち社員の言うことに耳を貸さないのか」と絶望に陥った経験から理解できたし、同じく開高健『玉、砕ける』も老舎作品を読んで、その良さが分かったのである。https://blogs.yahoo.co.jp/go1963s38/48031279.html少し前に書いたが、林真理子の根性の悪さ全開の『源氏語り』であっても、ラスト、幽明の境で源氏を待つ六条御息所の独白に小生は落涙を禁じ得なかった(文庫版[鍵のない…]の巻末では林と辻村の対談を掲載しているが、これもおもしろい)。
悲しく、辛い読書世界であっても、希望が消えるのでは決してない。純文学とはいいものなのである。
エンターテインメント小説を読んだら純文学を読む、と前回書いたが、純文学から目を背けっぱなしというのも勿体ない話だと思う。
エンターテインメント小説を読んだら純文学を読む、と前回書いたが、純文学から目を背けっぱなしというのも勿体ない話だと思う。
先日NHKのニュースに挟まれる形で辻村のインタビュー番組があった。読者寄りの作品を書いていきたいと言っていたいたかな?しかし、この人は純文学でこそ本領を発揮する人なのだろうと、小生は思う。ファンには悪いが『かがみの弧城』なんてどうでもいいからさ…。
次回は『グリーンゲーブルスのアン』について。