如意宝珠より。 | みらくる☆彡

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つづき


大本教基本宣伝歌 如意宝珠より
【神霊界の状態】

神霊世界の状態と
現実世界の状態の相似点と相違点。
神霊世界に入る為の準備として
出口王仁三郎著


神霊界の状態は 
肉体人の住居せる世界と万事相似たり 
平野、山岳、丘陵や
岩石、渓谷、水に火に 草木の片葉に至るまで
外形上より見る時は 何らの変わりしところなし

されども是らの諸々は 
起源を一切霊界に採りたる故に天人や 
精霊のみの眼に入りて肉体人の見るを得ず 
形体的存在は自然的起源を保有する 
現界人のみ之を見る

顕幽区別は明らかに 神の立てたる法則なり
それゆえ現世の人々は 霊界事象を見るを得ず
精霊界に入りしとき 神の許しを蒙りて
詳しく見聞するものぞ 

これに反して天人や精霊界に入りし者は 
また現界や自然界事物を見ること不能なり 
鎮魂帰神の妙法によりて人間の体を借り 
憑依せし時ようやくに
現界の一部を見聞し 人に対して物語り
為し遂げられるものぞかし 

如何となれば肉体人の目は
形体界の光明を 受くるに適し天人や
精霊の眼は天界の 光明を受くるに適すべく
造り為されしためぞかし 

しかも両者の眼目より外面全く相似たり 
霊界の性相この如く造られたる自然界の 
人の会得し能わざるはこれまたやむ得ざるべし 

外感上の人々はその肉眼の見るところ 
手足の触覚視覚等に取り入れ得らるるその外は 
容易に信じ得ざるなり

現界人はこのごとき 事物に基づき思考する
ゆえに全くその思想 物質的に偏りて
霊的ならず霊界と 現実界とのその間に
如上のごとき相似あれば 
人は死したる後の身もかって生まれし故郷や 
離れ来たりし世の中に
なおも住居するものなりと 誰人とて思うべし

このゆえ人は死を呼びて これよりあの世の霊界の
相似の国へ往くという



現実界を後にして 精霊界に移る時
その状態を死と称す 死して行くものは一切の
身魂に属せし悉を 霊界さして持ちて行く

物質的の形骸は 腐朽し去れば残すなり
死後の生涯に入れるとき 現実界にありし如
同じ形の身体を 保ちて何ら相違なく
打ち見るところの塵身と 霊身に何らの区別なし

されどその実 身体は すでに霊的活動し
物質的の事物より 分離し純化し清らけく
霊的事物の相接し 相見る状態は現界の
相触れ相見る如くなり 精霊界に入りし後も
凡ての人は現界に 保ちし時の肉体に
あるもののごと思い詰め 吾が身のかつて死去したる

その消息を忘るなり 精霊界に入りし後も
人は依然と現界に ありて感受せる肉的や
外的感覚保有して 見ること聞くこと言うことも
嗅ぐこと味はひ触るること 残らず現世の如くなり

精霊界に身をおくも 名位寿富の願いあり
思索して省み感動し 愛し意識し学術を
好みしものは読書もし 著述を励む身魂あり

換言すれば死というは 此より彼に移るのみ
その身に保てる一切の 事物を至る先々へ
持ち行き活躍すればなり 故に死するということは
物質的の形体の 死滅をいうに過ぎずして
自己本来の生命を 決して失うものならず

再び神の意志に由り 現世に生まれ来る時は
以前の記憶の一切は 忘却さるるものなれど
こは刑罰の一種にて 如何ともする術はなし

一度霊界に復活し またもや娑婆に生まるるは
神霊界より見る時は すべて不幸の身魂なり

人は現世に在る間に 五倫五常の道を踏み
神を敬い世を救い 神の御子たる天職を
つくしておかねば死して後 中有界に踏み迷い
あるいは根底の地獄道 種々雑多の苦しみを
受けるものぞと覚悟して 真の神を信仰し
善を行い美を尽くし 人の人たる本分を
力かぎりに務めつつ 永遠無窮の天国へ
楽しく上り進み行く 用意を怠ることなかれ

顕幽一致 生死不二 軽生重死も道ならず
重生軽死また悪し 刹那刹那に身魂を
研き清めて神界と 現実界の万物の
大経綸の神業に 
尽くせよ尽くせよ惟神(かむながら)
神のまにまに述べておく