・・・・・・・っということで、この映画でアカデミー賞助演女優をヴィオラ・デーヴィスが獲得した。
作品賞にもノミネートされ、アメリカでの興行は大成功を収めた作品。
なのに、日本では劇場上映されなかった稀有な作品です。
主演はディンゼル・ワシントンで、文句なしの演技力を持った俳優です。
なぜ?日本では劇場公開を見送られたのか?
正直に言いましょう。
配給会社の判断は正しかったと。
先ず、日本では成功しなかったと思うのです。
日本ではアメリカほど人種差別を実感として感じる機会が無いのです。
この作品は演劇の映画化です。
さらに、演劇は黒人作家による戯曲がベースです。
この戯曲の特徴は声高に黒人差別反対を叫んでいません。
実に、静かに、間接的に差別をジワジワと描いています。
したがって、これを演じる舞台俳優の力量が物凄く問われるのです。
題名からしてそうです。
フェンスはもちろん柵です。
柵には何の目的があるでしょう?
外部からの侵入を阻止します。
そして、内部からの逃亡を防ぎます。
さらに、他人と自分の間を分断させるものです。
出演者の一人ひとりがこれらの柵が持つメタファーを演じていきます。
こういう内容ですから、鑑賞する側に高い知性(インテリジェンス)が求められます。
こういうのにアメリカ人は弱い。
自分は人種差別主義者じゃないぞ。
自分はインテリだから、主題は理解しているぞ。
・・・というプレッシャーが必要以上にかかっているのです。
(ホントーはトランプ氏のようなRacistなんですがね。)
日本ではそういうプレッシャーがほとんど無い。
だから、この作品を客観的に見られるんです。
リベラルぶったりインテリぶる必要は無いのです。
日本ではウケないとしたのは冷静な判断だったと思いますよ。
・・・・・・・
さて、この映画のホントーに評価すべき点は人種差別ではなく女性の描き方です。
物語の大部分で、男どもがやれ差別だ、やれ父親の威厳だ、男の責任だとワァ~ワァ~騒いでいるけれど、そんな男たちを影で支えている女性にスポットライトを当てていることこそがこの映画を評価するポイントじゃないでしょうか。
そういう意味で、ヴィオラ・デーヴィスがアカデミー賞を取ったことは正解なのです。