前回の話『「すみません」は用法・用量を守って正しくお使い下さい?2』の続きです。
このシリーズの最初の話はこちら:
『「すみません」は用法・用量を守って正しくお使い下さい?1』
隣の席の私が気にしようが気にしまいが、『乳児連れ込み=迷惑』と社会的・日常的に扱われていて 母親が低姿勢で謝り続けなくてはいけない暗黙の了解みたいなものが出来上がっているように感じました。
隣の人、赤ちゃんの足とかがこっちに来ないようにすごく気にかけていましたが、赤ちゃんが動くのは仕方がないし、 飛行機も1時間程度のフライトですからギャン泣きされてもやり過ごせる長さなのです。
しかし、赤ちゃんがちょっとぐずっただけで(ギャン泣きではない)、怒濤の如く謝られて、こっちが恐縮しました。
でも母親が謝らないと「迷惑をかけているのに何も言わないのか?」と思う人も多いんだろうなあ、と。
なので、「すみません」は私にだけではなく、飛行機に乗っている他の人をなだめる為でもあるのかもしれません。
乳児を抱えているお母さんは、本来、社会が守らなければいけない存在なのに、そのお母さんに謝り続けるようなプレッシャーを課す社会は恐い…。
幸い、この隣の人は空港まで家族の方が迎えに来ているということでしたが、飛行機の後、電車やバスに乗らなくてはいけないなら、精神的・肉体的負担は計り知れません。
人に有無を言わさず「すみません」を言わせる社会ぐるみの暗黙の圧力とその陰湿さは、日本独特のもののような気がします。
日本で子供を育てるってどれだけ大変なんだ!?とちょっと恐ろしく思いました。
もちろん、地域差もあると思いますが、 日本の子育ては他国に比べて、精神的疲弊が大きい気がします。「こうあるべき」「迷惑かけるな」的な。
前記事で「すみませんをいいすぎるのはよくない」と書きましたが、社会的・日常的に、他者や社会からのプレッシャーによって 「すみません」と言い続けなくてはいけない状況というのもあり得るのだなあ、と。
続きます。
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