■30代で「余命は10年」と宣告された
── 2004年に甲状腺がんが発覚したそうですが、初めはどのような症状で異変に気づかれたのでしょう。発覚したときの経緯を教えてください。
斉藤さん:当時はアメリカ人の方と結婚してニューヨークに住んでいました。アメリカと日本を行き来していたころだったのですが、森公美子さんたちと共にミュージカルを1年間やらせていただいているなかで、ファルセット(裏声)が出なくなって。
「おかしいな」と、アメリカに帰ってから、定期的に声帯のチェックを受けているファミリードクターにかかって検査したら、ぎりぎり目視できるレベルの小さなポリープが見つかったんです。それは甲状腺がんの疑いがあるということでした。
私は子どものころから甲状腺障害があり「甲状腺機能低下症」と診断されていたので「甲状腺がんの疑い」と聞いて、思い当たらなくもないなと。
ちょうど、テレビのダイエット企画で海藻やきのこだけを食べるなど1つの食材だけを摂取するような偏ったダイエットをやって、1年半で体重を97キロから42キロまで落としたときでした。
甲状腺機能に影響を与えるような食品の過剰摂取もよくなかったと思います。 日本に戻って東京の大きな病院で検査を受けたら甲状腺がんのなかでも多いと言われる乳頭がんであることがわかりました。
── 乳頭がんが発覚して、どのような治療を受けられたのか教えてください。
斉藤さん:私自身、治療方法や副作用にはすごく敏感になっていました。当時はまだSNSが発達してなかったので、情報収集がままならず、経験者の方の話を直接聞きに行ったりもしましたし、納得のいく治療を求めてフォースオピニオンまで聞きに行きました。
そのなかで女性としての臓器に今後弊害が出ると言われ、「余命は10年」と余命宣告を受けました。当時はまだ30代だったので、治療の選択肢を模索しましたね。
基本的には手術で切除が一般的なのですが、後遺症で声を出せなくなる可能性があることが怖くて。手術ではなく、最新の放射線治療と抗がん剤やホルモン薬による治療を選びました。
■新薬や治験にも挑み、治療費は7年で2000万円
── どれくらいの期間、治療は続いたのでしょうか?その間はお仕事もできなかったのではないでしょうか?
斉藤さん:7年くらいです。離婚してアメリカから帰国したタイミングだったこともあり、向こうで入っていた保険が使えなくて、全部自腹でした。
日本で健康保険に入り、後ほど高額医療費の申請をしたりもしましたが、新薬が治験で1本120万円くらいの抗がん剤を打ったりもして、7年間で2000万円以上かかりました。
治療中は今まで通りに仕事ができる状態ではなかったので、単発のものなど、受けられる仕事だけをやっていました。私、がんであることは家族にも当時、黙っていたんです。
というのも、同じ時期に父が認知症になり、母は病気で入院。妹は子育てでメンタルの疲れが出て、私も子育てをサポートしていたので。
家族が憔悴しているところに私のことを言える状況ではなかったんです。 そんなときたまたま、がんセンターで芸能レポーターの梨本さんにお会いして「こず恵ちゃん、なんでここにいるの!?」って。
当時、取材で来たと仰っていた梨本さんに「大丈夫だよ、週刊誌とかテレビには言わないから」と。それでがんのことを話すと「公表しないほうがいい」とアドバイスもらいました。
当時は公表することによって仕事がなくなったりする時代でした。そのアドバイスを聞いて、周りには言わないと決めました。後に梨本さんもがんで闘病中だったことを、ご本人の告白記事で知りました。
仕事はセーブしましたが、直前までダイエット企画に多数出演したり、ドラマや舞台などでたくさん働いた時期だったので、休める経済力もあり、3年間ほど治療に専念できました。
■転移や再発も「がんと共存する」
── 抗がん剤の副作用はつらいことが多かったのではないでしょうか?
斉藤さん:本当につらかったです。がん自体の痛みというより、副作用による全身の痛みのほうがすごくて。しびれたり、虚脱感で動けなくなったり、意識が急に落ちたりすることも。
生理は止まりましたし、「抗がん剤を早くやめたい!」と思いました。「途中で何かあったらすぐ来てね」と言われるほど、油断できない状況ではありましたが、再発検査が半年後、次は1年後と次第に間隔が空いていきました。
がん発覚から今では20年くらい経ちます。その間、別部位に新たに発がんし、治療の繰り返しです。その都度対処していくしかありません。
「もう大丈夫ですよ」と先生から一度も言われたことはないですし、私のがんは寛解もなければ、根治もないと思っています。今もがんとは共存しているわけですけど、問題の箇所が小さくなればなるほど生きてはいけるので、すぐに変化に気づけるように再発検査は欠かしません。
■再婚直後に新たに見つかったがん「軟骨肉腫」
── 甲状腺がんと共存しているところに、さらに新たながんが発覚されたそうですね、驚かれたのではないでしょうか。
斉藤さん:4年前ですが、軟骨肉腫という骨のがんが見つかりました。触るとコリッとするものが、肩甲骨あたりにできてすぐに病院へ。22歳年下の今の夫と再婚したばかりのころでしたが、夫が病院に呼び出されて「このまま放置していたら3年は難しい」と。私のいないところで余命宣告をされて、ショックを受けていました。
放置した場合の話ですから「治療がうまくいけば10年は大丈夫」と言われ、私は「10年なら還暦は超えてるからいいか」なんて思ったりしたんですが、結婚したばかりだったから「やはり夫のことが心配だし、70歳くらいまでは生きたい」と、治療をちゃんと受けて今に至ります。
抗がん剤を使わなくなって数年経過しても副作用は出るようで、最近も合併症による不整脈や血栓でカテーテルを通す入院したり。本当に次から次へといろんなことが起きますね(笑)。
なので「もう動けませーん」というような日は正直ありますが、仕事が好きなんですよ。今やっている声優のお仕事に力をもらっています。
■魔女、妖怪、呪いの声…声優の仕事が今の生きがい
── 声優を始めることになったきっかけはあったのですか?
斉藤さん:もともとアニメや吹替作品が好きで、めちゃくちゃ声優さんのファンでした。そんな憧れの声優さんたちと舞台の打上げをしていたときに「斉藤さんやってみたら?」と勧めてもらったのがうれしくて、「一回やってみようかしら」と言っちゃったんです。
そしたらすぐに電話が来て「やってみませんか?」と。声優業界は初めてなので、本当に暗中模索でした。何も知らないから、若い声優さんに教えてもらいながら始めました。
声優という新しいジャンルが、私の俳優としてのあり方をすごく考えさせてくれましたね。これまで声優と俳優はまったく別のものと思っていたけど、やってみて「これは生の舞台と一緒じゃん」って。
その感覚が楽しくて「もっとうまくなりたい!もっとちゃんとやりたい!」って思うようになりました。新しい分野に挑戦している感じで。
── どんな役をやっていらっしゃるんですか?
斉藤さん:人間じゃない役が多いですね。魔女とか妖怪とか。呪いの声とかね。TVアニメ『呪術廻戦』の声も実はやらせてもらっています。
あと、モブキャラっていう、そこにいるだけの「キャー」という声とかもやりますし、名前のない役もやります。それって演技力を磨かないとできないんですよ。
子役のときのエキストラなんかで名もなき役をたくさん経験してきましたから、声優さんのすごさがわかる。かつて誰かが「声優は演技力がなくてもできる」といった人がいて、全力で反発してキレたことありました。飲み屋で(笑)。
声優として所属する現在の事務所では声優の子役を教える機会もいただき、自分も勉強しながら教えています。難しいけどやりがいがありますね。自分の体調と相談しながら、これからもずっと続けていきたいです。
… 斉藤さんは2021年にコロナ禍で再婚しました。夫は22歳年下で、53歳と31歳の年の差婚。出会いは銀座の飲み屋だったそう。マネージャーさんのタレコミでは、かなりのイケメンとのこと!
PROFILE 斉藤こず恵さん
さいとう・こずえ。1967年生まれ、東京都出身。3歳で劇団若草に入団。74年NHKの朝ドラ・連続テレビ小説『鳩子の海』でヒロインの少女時代を好演し一躍人気子役に。76年には『山口さんちのツトム君』で歌手デビュー。その後、芸能活動を休止し、アメリカの大学に進学。帰国後は舞台俳優として活動のかたわら、テレビなどで数々のダイエット企画に挑戦する姿が話題に。現在は声優としても活動の場を広げている。
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