前回示した霊的階層図を、陰陽五行の五芒星に当てはめたのが今回の図です。
実線のABCは「木」「土」「水」の『低我』です。
点線は「火」「金」「木」の『高我』です。
低我と高我は対照的であることに気づくと思います。
対象軸にあたるのが、左図では三角形で、右図では長方形で示されています。
左図の場合、真ん中の「マナス」階層の「メンタル」と「コーザル」の間にある小さな三角形が、最上部に描いてある「モナドのあらわれ」という大きな三角形の縮小コピーになっています
「モナド」というのは、簡単に言うとプラトンの言うイデア(あるべき世界)みたいなもので、基本的理想像を示してます。この理想がトーンダウンして低我と高我の間にあるということは、私達の霊的な世界には「本来あるべき姿」が埋め込まれているということです。しかし、肉体人間として日常を送る私達の理想は、当然のことながら歪められてしまっています。理想があったことすら忘れています。
右図の場合では、これを長方形で描いていますが、それは「思いの鏡」と呼んでいるからです。
右図の五行での表現は、左図に比べて「思いの鏡」のあり方をよく表すことになります。
低我が肉体人間として一生を始める(「木」からスタート)にあたり、理想像を鏡のようにして自分の内にもっていることを示しているのです。しかし、「木」→「土」→と成長していくにあたり、前述のとおり理想は歪められていきます。
順調に低我から高我に成長するには、「思いの鏡」を通り抜けていく必要があります。その資格がある人には、もはや「思いの鏡」は「鏡」というよりは「霧のスクリーン」のように存在しているので簡単に抜けていくことができます。しかし、たいていの人は「水」にて正しい自我を得ることができていないので、歪んだ自分という認識を維持したままで、この「思いの鏡」に再会することになります。このとき、鏡は歪んだ自分の姿を写すことになります。当然のことながら「水」から「火」へと通り抜けることはできません。
このことをまったく自覚できていない「自分」は、おそろしい化け物に出会ったような錯覚を覚えて逃げ出します。旅人を食い殺すスフィンクスの神話や、自分と瓜二つのドッペルゲンガーの逸話などは、このことを表しています。
人間は何度も「生まれ変わり(転生)」するというのは、ここで逃げ出した人間が何度も低我をやり直すことを示しています。いつか、本当の自我を自覚できるようになって、「思いの鏡」を通りぬける日まで繰り返すのです。
ということは、「生まれ変わり(転生)」ということが何故あるのか…という理由につながります。
つまり、やり直すことで自分の問題点に気づくのが目的であるということです。
しかし、生まれ直して赤ん坊になった段階で過去のことは一切忘れてしまいますよね。それでは何の役にも立たないのでは?と思いがちです。
また、「木」から人生を始める段階で「思いの鏡」という理想像を鏡のようにして自分の内にもっているはずなのに、なぜ何度も何度もやらねばならないほどに苦労するのか?という疑問も出てきます。
それを説明するのが「カルマ(業)」という考え方です。実は、生まれ直すということは、まったくのまっさらのゼロから生まれなおすわけではないのです。過去の人生での失敗は「歪み」として、今回の「思いの鏡」に刻印されて用意されているのです。つまり人生の始めから前世でのハンデを抱いて生まれてくるのです。しかし本人の記憶にはありません。自分で気づくというのが大切だからです。
それに気づけるために、「見えない救い手」や、魂の先輩である高我たちが、いつも私達には同行してくれているのです。
実は「至れり尽くせり」なのです。
