昨年11月29日から始めている『自分発見』シリーズですが、12月までは
『人間の進化とは意識の進化で、それは「墜ちて昇る」こと!』
というテーマに沿って、意識のことを軸に五行の各要素(5つのエレメント)について触れてきました。
五芒星で示す星型の一番上にある「木」の示す「思い」から始まり、下へと展開して反転して最終的に「木」に戻ることが「墜ちて昇る」ことです。
ここからは詳しく「木」とはなにかについて触れてみたいと思います。
実はそれこそは本来一番はじめにいうべきことでしたが、あえて後回しにしていたのでした。
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陰陽五行の五行とは「5つのエレメント」のことですが、その大本が「2つの概念」であり、東洋人にとっては有名な「陰陽」です。
男と女、昼と夜、夏と冬、善と悪など、この2つはどちらか一方に偏っているように見えても実は同居しており(男の中にも女っぽさがある、夜には明るいものが目立つ、夏にも寒い日はある…など)、状況に応じてどちらかが目立ちます。また、永遠にどちらか一方ということもなく、見方を変えることで陰陽は反転、流転します。逆に言えば明確に陰か陽かのレッテルを貼ることはできないくせに、この2つを抜きにして私達はなにごとも理解できません。
大人の男女は必ず見分けがつきますが(たまに例外もあり)、赤ちゃんや超高齢者は見分けがつかないことが多いです。ドラマを見てても悪人か善人かの区別がつかない人物が居たりもします。こんなとき、私達はどっちつかずのなんとも言えないバツの悪さ、居心地の悪さを感じてしまいます。
これは、あくまでも私達は人間として『低我』というまだ低い意識状態での存在ゆえに、陰陽という認識の土台が必要だということです。逆に言えば『高我』という高い意識状態に達すると「陰陽」という土台は必要なくなります。高度に進化した宇宙人や神様などへのチャネリングでは、自分は性別は持たないと返答してくることが多いことからもわかるでしょう。
つまり意識の根源にして進化の目標段階では、陰陽を超えた『一なるもの』(太一とも言います)が実態なのです。
私達が人間としてこの世界に生まれるとき、人によって違いはあるものの、霊的な『一なるもの』の世界から、この低い次元に墜ちてくるのですが、その霊的な『一なるもの』に直結しているのが「木」です。これは形をもたない「思い」の世界とも言います。人間として生まれるとは物質次元に墜ちることです。これは「土」で、通常は現実と呼ばれるところです。
この「土」で足踏み状態になり、なかなか進化できないまま輪廻転生に入ってしまうケースのほうが多いですが、進化できて物質世界が幻想だったと気付けると「水」の段階に至り、本当の自分(自我)を得ることができます。このまま順当に進化できると「火」という高我になりますが、その前に『思いの鏡』という最後の関所があります。
図を見るとわかるように、「思いの鏡」は「木」の真下にあります。
つまり私達人間(低我)は「木」という「思い」から始めて、自分の思いのあり方に応じた進化の果実を得るのです。「思いの鏡」には、その人の一生を通じての、世界の見え方が「ゆがみ」として刻まれています。この「思いの鏡」とはハーフミラー(自分も映るし、背後にある世界も透けて見える)のようなもので、「ゆがみ」は世界も自分の姿も変えてしまいます。仏教ではこれをカルマと言い、輪廻転生の上での宿題として何世代も持ち越しながら修正し続けるのです。
そしていよいよ卒業となると「思いの鏡」のハーフミラーは、霧のカーテンのようになり、低我の「水」から高我の「火」へと歩んでいくことができるのです。
「思い」は意識につながり、意識は『一なるもの』につながります。その過程に「自我」という「自分とはなにか」という認識があるのです。「思い」すなわち「木」とはこれほど重要なのです。
いちばんはじめに触れるべき「木」をわざわざ後回しにした理由はこれでおわかりでしょうか?
