五行は森羅万象を見るための羅針盤ですが、「水」の示すものは他にもたくさんあります。
図での「十文字五行」を見てください。これはいつもの「五芒星型五行」とは少し違っています。
これは方位とか十二支、時刻にあわせて五行を表示したもので、五行の5つの要素の意味するものがはっきりとわかります。つまり「水」なら北で、時刻は真夜中を象徴する…という意味です。さらに「水」は季節なら冬、色なら黒、感情なら恐れを示します。
ここからわかることは、「水」とは暗く見えない、寒い冷たいものだ…ということです。だから恐れに通じるのですが、本当は「畏れ」と書くのです。神仏などへの畏怖としての「おそれ」です。確かに神仏は肉眼では見ることができないし、バチをあてられたら恐いのです。
私達の通常の認識では次元の異なるものが「水」なのです。
しかしなぜこんな「水」が「自我」なのでしょうか?相生ルートで得た「水」のエゴイズムは別として、相剋ルートでの「自我」を得るためは「金」の触媒の力を借りて自らの影(欠点)に向き合わねばなりません。自らの問題点に向き合うということは神に向かって懺悔していることと同じなのです。つまりそこには神への畏怖の念があります。
前回、『本当にひとりひとりが「水」で己の正しい自我(個性)を理解できるのはまだ先』と言いましたが、私達の精神性が「水」に至るには『神』という精神性の極に対してまだまだ理解を深めていく必要があるのです。そのためには前述の『「金」の触媒』が必要なのです。
