普通にしていれば「木」は「土」に勝つ
しかし「木」は「土」へと進むことが大切
ということについてお話しています。
例をあげれば
若者は大人に逆らうけど、大人へと歩んでいく(年をとるという意味の他にも)
男と女は全く違うこど、男から女へと向き合っていく
…ということでした。
ここでは「木」の象徴として、若者、男
「土」の象徴として、大人、女
でした。
これを示すのが五行の「相剋ルート」というものです。
五行には、もうひとつ「相生ルート」というものがありますが、
このあたりの「ルート」の詳細に関しては、もう少しあとで述べましょう。
まずは五行のもつ象徴性が実用的なものであるということをお話したかったのです。
今回は、さらに重要なことを言います。
「木」は「思い」(想い)
「土」は「現実」
なのです。
今までの流れでもわかるように
「木」は「土」に勝つ…ので、「思い」は「現実」に勝つとわかります。当然ですよね。信じている人が実は悪人だった…なんてシチュエーションの場合でも、信じたくない!が優先されますから。
かつてのオウム真理教事件でも、末端の信者たちは教祖や幹部たちのやったことを最後の最後まで認めることはできませんでした。そんな例でもわかるし、通常の私達にとって普通のことです。
しかし、
「木」は「土」に向いていく…のです。いくら「思い」が強くとも、「現実」へと向き合っていかない限り、この世界を生きることはできないのです。
でもここで気づいてほしいことがあります。
すべての始まりは「思い」である!
ということなのです。
その「思い」がその人のあり方を決めてしまいます。「思い」そのものがグリグリと変化するので、通常はそう大げさなことにはならないにしても、「思い」が強ければ、その人の一生を決めてしまいます。良きにつけ悪きにつけ。
これを五行では
始まりの「木」
と表現します。
私達の人生の入り口に立つ「思い」つまり「木」の重要性に気づいてください。
ここには現実は関係しません。言い変えると、なにが真実かは関係ないのです。あるいは、真実そのものは明瞭ではないのです。自分がどう思うか…にすべては託されているということです。
人に悪口を言われてそのままそれを自分の劣等感へと思いこんでしまうひと…。
人に悪口を言われても、平気に受け流してしまえるひと…。
その悪口が真実であろうとなかろうと、その悪口でどう思うか…が、その人を決めてしまいます。
でも、たいていの場合、人間は自分だけの「思い」で日々を生きているわけではないのです。知識とか常識、いろいろな見聞によって、その「思い」を左右されているのが普通です。
しかし何度も言いますが、真実は不明です。知識とか常識、いろいろな見聞も真実とは限らないのはもちろんです。
となると、何を元にしてものごとの「思い」を検証すればよいのでしょうか?
このモノサシになるのが、まずは陰陽五行なのです。
