再認識いたします。
皆様、いかがお過ごしでしょう。
じつは、先程ブログを途中まで
かきまして、読み直して
書き直しております。
理不尽な事件をテレビで見て、
(関係ない人を傷つけたりとか、
それを悪いと思ってないで、やってる事件、)
やりきれなくなり、私どもに起こった理不尽な出来事の事も書こうと思ったのですが、
こんな時ですもの、やめました。
自分のエゴで、
人を傷つけても何とも思わない人たち
について、
避難しようとしたのですが
止めました。
10月の終わりにある精神的な事を
学ぶ講座に、出る機会がございました。
その時の内容は、
口外しない約束ですので、
書けないのですが、
悩みが、心の持ち方で、変わり
自分の家族や身近な先祖が
癒されて自分の問題解決に役立つと、
いうようなワークでした。
講師は、外国の方です、
通訳の方の通訳ですので少しニュアンスが、違っているかもしれないんだけど、
「今から、
皆さんが話す相談事について、
何が相談されようと、
わたくしたちは、
その内容をジャッジしてはならない。
今は、その内容をジャッジする場ではない。
例え、殺人者がこの中にいて、
その事を、相談しようとも。
近親相関や、不倫の事であってもです。
その内容が悪いことか、
どうかではなく、
その事によって、
何がおきているかを見てください。」
とおっしゃいました。
とても、ビックリしました!
悪いか、悪くないかでなく
その起きた事象をまず見ましょうとのお話。
これは、私に抜けていた視点でした。
わたくしは、
まず、正義を考え、行動し
弱きを助けたい派(笑)でしたから。
わたくしは、今まで、
色々な事をだるまんブログに
かかせていただいてまいりました。
いい気になって、大鉈振りかざして
「ジャッジ」してたな、とその時思いました。
その日のワークは、ノートを録る事も、
禁止でした。
まず、何がおきているか
感じる事がテーマでしたからね。
ジャッジしないで、
事象をみる訓練になりました。
内容を書くことを禁止されてますので、
書けないのですが、
そのワークで、
わたくしは、LIFEつまり「生命」と
命名されました。
生命とは、命を生きると書きますよね。
いのちをいきる!
その言葉は、はじめて聞いたように
その日一日新鮮でした。
全く、忘れていた言葉でした。
どんな状況でも、今は、生きている!
という事が。
そう、昨年の夏に、息もするのも
嫌って感じになったと、前に
ブログにかきましたよね。
昨年の8月に、
気が止まってしまった時に、
わたくしに「生」って言葉を
プレゼントしてくれた人がいました。
瞑想のワークの中で、皆三枚ずつ、瞑想で浮かんだキーワード1文字を書きます。
私の瞑想で、浮かんだ言葉は、
「木」「鳥」「空」だったかな?
皆さんの書いた、カードをあつめて、
シャッフルして、そのなかから、
目隠しで一枚もらうというもの。
わたくしの撰んだ一枚のカード
の文字が「生」
「生」という文字を見たとたんに、
ワーンと泣いてしまった記憶があります。
昨年の8月の終わりでしたね。
あの頃から、生きる事を考えるように
なりましたが、上っ面だったかもしれませんね。
今まさに、ご病床に伏せていらっしゃる方、
パートナーを天国に見送られた方
そして、赤ちゃんを産んだばかりの
お母さん、など
皆さん「生」と、いう事を
ひしひしと、感じていらっしゃると思います。
誰よりも、考えてる、感じてる。
淡々と「生」を生かしている方たちだとおもいます。
私も、この20何年間、次女を生んでから、
毎日が、目まぐるしくて
「生きる」という事を忘れて、
過ごしていたかもしれません。
今は、生きる事が、
昨年の反転からこっち
私のテーマになったかなと、
思います。
そのテーマで、
皆様からのお話も、うかがいますし。
そして、「土」から「水」へ
スピードアップしてる感がありませんか?
昨年より、今年早かったとおもいませんか?
そうおっしゃる方、多いんですよね。
多分、覚醒するひとや、時代の流れが
「水」へと、早まっているのだとおもいます。
それこそが、生きる事。
私も、魂を感じて生きる事を
しようとおもいます。
それが、価値のある「生」になるとおもうから。
どんな、状況にあっても、
心から、エゴを取り去った人に
手放す物を手放せた時に
扉は開かれると、思います。
その為の鍵は、誰もが持ってるのだから。
私は以前、瞑想の中で、主人の祖父から大きな鍵を渡されました。
鍵で、何の扉を開くのがそのときは
わからなかったんです。
その鍵の錠前が、実は
現実に有りました。
心の中の、イメージの鍵ですけれどね。
錠前は、実在しました。
京都に信貴山というお寺があります。
そのお山に行き、
その、毘沙門天を祀っている本堂の地下の戒壇巡りというのを体験致しました。
お堂の下の、真っ暗やみを壁を伝って歩みます。
真の闇、ノロノロ歩いて行きます。
真っ暗な本堂の地下の中、その暗闇はその人の心の中だそう。
その暗闇を、手探りで
歩いて行くと真ん中辺りに、顔の位置くらいに、神棚くらいの小さな
小さな観音堂が、あります。
観音さまがたしか、12体おわします。
ほのかな光の中に、観音さまが、
十二柱おられる、その光で
わたくしの後ろに影が、できました。
《シャドウ》です。
観音さまによって、
影の存在が、暗闇の中から浮き上がり ました。
また、わたくしは、観音さまから離れて、先に、先にと手探りで歩きます。暗闇に戻りました。
でも、二度目の暗闇は、《シャドウ》を知った暗闇。
すると、真っ暗な中、
手に何が、当たりました。こわごわさわると、それは、大きな錠前です。
その錠前をさわって戻っていらっしゃいと、
尼さんに言われていたので、
しっかりと、錠前を握ります。
そこで、カルマの解消や、苦しさからの脱却を祈ります。
瞑想の中で、祖父から渡された
心の中の鍵は、ここで使います。
無論、本物の鍵では、ないんで
鍵をイメージして、祈りました。
この錠前は、
自分の闇に向き合う為の、鍵なんでしょうね。
戒壇巡りが終わってから、説明書きを
見ました、すると、
錠前は、
『如意宝珠』と書いてありました。
あれは、如意宝珠だったんですね。
だるまん講座でも、
ここの所、如意宝珠のお話は、
よくでてきますよね。
主人のブログで、お読みになった方も、
ありますよね。
霊的な進化が、進むと
松果体の中に、脳砂ができる、
それつまり、
如意宝珠であるという話でしたよね。
観音さまの光がなければ、影の存在があることすら、知りませんでした。
でも、反転を経験したあなたは、
わかりますよね。
辛い事、辛い経験が
今のあなたを作ってることを。
そう、二度目の暗闇です。
もし、あなたが、誰かに
悪いことしてたりしたら、
逆に
誰かに辛い目に合わされていても、
この12月の冬至までに始末しておきましょうよ。
実際に謝るのも良いし、
怖くて謝れないのなら、心の中でお話してみたらどう?
あのときは、私はこんな
事考えて、自分勝手だってけど
ごめんなさいねと。
または、こんな事されて
嫌でした、
でも考えてみたらこうだよ、
とかね。
この間の10月のワークは、
そんなワークだったんです。
ごめんなさいや、辛かったよ、とか
ホンとはこうでした、とか。
わたくしは、
話せばいいとおもいますよ、一人で。
一人で部屋で話せばいいのね。
心の中ので、呟くのではなくて、
一応言葉にしましょう。誰もみてないから(笑)。
そして、
もし、試験に落ちたとかだったのなら、
受からなかったとしても、
じつは落とされたのではなく、
あなたが、受かる事を拒んだんだという事なんですよね。
または、
誰かにふられてしまったと思ってる?
じつは、あなたが別れを撰んだんですって。
そうなんですよ。
これね、天海祐希さんが、教えてくださった事なの。
もう、10年前かな、その時は
なにをおっしゃってるか
意味不明でしたけど、今はよくわかります。
自分が引き寄せた事なんですよね。
現実世界では、「ヤられた」と、
とらえますけども、
精神世界では、「引き寄せた事」なんですって。
わたくしも、そこの所、なかなか
ふに落ちない所でした。
それでも、その事が
辛かったなら、その時のことを、
その時の当事者の誰かに、
心の中で、しゃべってみて、呟いてみて。
辛かったよー、とか、
試験なんでおとしたの~とかね。
ごめんなさい、とか。
それで、その事と決別しましょ。
もうすぐ、冬至だもん。
12月に、お参りいくのも
良いですよ、
納めの観音さま
に、行くも良し。
12月の神社も、お寺も良いですよ。
人いなくてね。
私も、今年のお礼に参ります。
ほりうちのりこ
お知らせ
来年から、
「陰陽五行プラスone講座」
神社や古事記を学ぶ講座
がスタートいたします。
場所は、東京と、横浜の中間の品川を
考えてます。
江戸時代に
品川宿に住んでいて、桜木町に来た
遊女の亀遊(喜遊)さんに、導かれて、
場所がここに決まりそうなんですよ。
亀遊の話は、またに。

これが、地下にあります。
触った人だけの、特典?
京都にいかれたときは、是非に。
宿坊も、あります。
はじめての宿坊泊まるかたには、
やさしいソフトなお寺です。
ご飯が旨い!!

これです。

戒壇巡りが、終わり朝日が、
顔を出しました。
気持ちのよい朝。
来年もお訪ねします。
本物の脳砂を増やして。
合掌