最近の邦画『プリンセストヨトミ』を見ました。レンタルですが。
なんというか、名画というレベルではありませんが、私としては興味深く見ました。
なにが興味深かったかというと、ズバリ『男のための父の映画』ということだと思います。
第一に父としての男らしさということです。
ふつう、男らしさというと、任侠物とかドンパチのアクションとか、なんか男の猛々しさを描いたものが多いのですが、ここに描かれる男らしさというのは、父から息子へと伝えていく、言葉にはならない言葉、背中で伝えるような、その生き様をうけついでいくことのすばらしさを描いているのです。
内容的にははっきりいって荒唐無稽なものです。
かつて秀吉の遺児をかくまった大阪庶民の熱意が「大阪国」をひそかにつくり、そこで父と息子、豊臣の姫を守る男のいきざまを伝えていた…というものです。その大阪国の維持のために年間五億の費用を国庫から預かっていた事実に際し、真実を知った会計審査員の承諾を得ることができるだろうか…というのが物語の主軸になります。
当然、審査員はその秘密を知った時、そんなものに大切な血税をつぎこむ事はできないと判断するのですが、前述の大阪国の人々の生き様に心を打たれ、それを認めることになるというストーリーです。
まあ、一般常識レベルで見ると、そんなえたいのしれない事に血税をつぎこむことはとんでもないとことになりますが、それはあくまで私たちの常識レベルの話です。大阪城の地下に作られた大阪国の国会議事堂に至る長い長い赤いじゅうたんの地下 通路を歩きつつ、父から息子に伝えられる男の生き方…という話には常識を超えた説得力があると私は思いました。
いうなれば、これは一般常識を超えた世界に私たちを導く映画です。これを単に荒唐無稽で済ましてしまうのは、あまりにも夢がありません。
なぜなら、これは五行でいう「土」的な生き方を吹き飛ばしたものであるからです。「土」的な常識の中に居る自分があまりにも息苦しいことに気づいた人には、この映画の不思議な魅力が気づくはずと思います。
そして、もうひとつの軸になるのが、豊臣の姫を守る女装の少年の生き方です。映画の中では、単に少年がそうしたいからしていた…という説明しかなされていませんが、実は彼の生き方は「土」を超えたものであるのです。
男だから男の格好をすべき…という私たちがなにげなく受け入れ入れている常識は無視しても(たとえそのために不良にいじめられても)、男として姫を真剣に守るという生き様を彼は心得ているのです。これは常識やルールにしばられずに、自分の芯の部分に正直に生きている生き方です。
つまり私の言っている五行における「水」の生き方なのです。
ちょっと難しい事を言うならば、男性の中にある女性性、女性の中にある男性性を深く理解するというのはとても大切なことです。これがないと魂の進化はなされないというぐらい大切なことです。その理解の仕方にはいろいろな方法があるのですが、これはまたの機会にお話したいと思います。
結論として、映画の完成度としては、いくつかあった伏線が生かされきっていなかったのが残念ですが、ある意味とても刺激的な映画であったと思います。
ところで、『男のためのチチの映画』と言いましたが、もうひとつ男性には絶対に刺激的だっと思えるのは、綾瀬はるかが無人になった大阪の町をかけぬけるシーンでしょう。その時のチチの揺れには男性諸氏の目が釘付けになったにちがい…… コホン! 本日はこのへんで。