先日、なんと30年ぶりの友人に再会しました。それが会ってびっくり!
ずいぶん変わってしまっていたのです。あれじゃあ、道で会ってもたぶん気づきません。それが話し始めて二度びっくり!あの感じ、声!昔とちっとも変わっていません。機関銃のようなしゃべり方も自分の体験談を羅列していくという話の内容も、昔のままでした。懐かしいとともに、人間は外見は変わっても中身はなかなか変わらないものだと痛感しました。
かくいう私も向こうにはどう写っているのか?いろいろと反省もさせられた次第です。
そういえば、昔の映画などを見ていても、この俳優は誰だろう?と思っていると、その声で「なーんだ!あのヒトじゃん!」とわかることも多いと思います。年齢と共に顔は老けても、声は意外と変わらないことが多いものです。
声というのは五行では「水」に相当します。「水」というのは「自我」を意味するということを前にもお話しましたが、まさに、声はその自我が端的に現れているのです。
人体で言うと「水」は腎と膀胱に相当するのですが、腎臓の持つ気は「腎気」と言って生命エネルギーそのものでもあります。つまり自我というのは生命エネルギーの変化したものでもあるわけです。
ヒトは生まれてから死ぬまでの間、五感のうちの何が最初から最後まで肉体を支えるのかというと、実は音なのです。
まだ体内に居る赤ん坊のうちから親の声は聞こえていると言います。だから胎教といって親が話しかけたりモーツァルトの音楽を聞かせると良いとも言われますね。
また、死のまぎわで目も手足も効かなくなってしまっていても音だけは聴こえると言います。おじいさんが死の床にあるとき、おばあさんが「おじいさんや!」と呼ぶより孫娘が「死なないで!」と呼んだほうが復活しやすいという笑い話もあるくらいです。
それほどまでに私たちにとって音と、その音に変化した自我である声と、音を受け取る耳というのは大きな意味を持っています。
音に関わる英語で sonic という形容詞がありますが、これがまさに私たちの実体をさしています。ここに「…を通じて」という意味の per を加えると「person」となり、「人」という意味になります。つまり人間とは「音を通じて表現されたもの」ということなのです。先ほどより自我というのは音から変化したものだと言っている意味がよくわかると思います。
考えてみると、観音菩薩の「観音」というのも同様の意味です。音を観じる…というのは、人間の本体を見抜くという意味だから、そういった意味で心眼を持った菩薩のことであるなとわかるわけです。
また、インドでは人間の霊的臓器としてチャクラというものがあると説明していますが、この中でも声帯と関連する喉のチャクラ(ビシュダ.チャクラ)というものがあります。このチャクラが覚醒すると、他人の思いが読めるようになり、過去現在未来を見通す能力がつくと言われています。まさに「観音」ということになるわけです。
さらに神秘学者のルドルフ・シュタイナーは声帯は未来の性器であるとも言っています。今の私達の行うセックスは肉体の接触によるわけですが、未来の人類は音を通じてセックスを行えるのです。どんどん人間の本質へと近づいていくわけですね。
しかし、そんな未来が訪れると、テレフォンセックスでも強姦もできることになってしまうので、とんでもない障害もあるわけですが…(笑)。