歯の不思議な話 3 | だるまんブログ

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生きる知恵である陰陽五行についてだるまんと語るブログ。『だるまんの陰陽五行』(三冬社)より発行。

続けて「歯の不思議な話」をお送りします。
これは「陰陽五行」に合わせて歯と教育の話を書いたものです。ご期待ください。

【象徴とは何か】
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ここらで「象徴」という言葉の意味合いについて再確認しておきたい。ただの知識としてではなく、どうか知恵へと成長させていただきたい。
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最後の一葉
O.ヘンリーの「最後の一葉」の話は誰でも知っていると思う。画家の窓に描いた一枚の葉が病窓に横たわる少女の生きる力となった物語である。簡単に言うと、この葉のように、一見無関係なパワーを引き出せるものが象徴なのである。単に何か複雑な事象をシンボル化したものが象徴と考えてしまうと、大切な所を見失ってしまう。単にシンボル化した図像は「象徴」とは言えない。その象徴に触れることで自分の内側に何かが生まれるものを象徴と言うのだ。
しかし、この「象徴」、誰がチンしても同じ味のものができあがるというような類いのものでない所がややこしい。見る人が見ないと本領が生きてこないのが象徴である。先の例で言うならば、窓に描いた葉の絵など、関係ない人にはただの落書きである。

しかし、相手がどこの誰であろうと、その気になって心の奥底からその象徴に向かい合った時に、同じ効果を引き出せるものもあるノらしい。これは私も「らしい」と一歩ひいた表現をしておくしかない。ことがあまりにも物質界を離れ過ぎてしまうので、確かめようがないからだ。たとえば、荒れ果てた地に咲く一輪の純白の花を見て、嫌悪感を抱く人はいないに等しいノはずだ。

前から述べている五行も実はこの類いの象徴にあたる。
このところ、しきりに登場する「木」(もく)という象徴だが、陰陽五行の中ではただひとつだけの「生き物」である。残りは「火」、「土」、「金」、「水」とすべて生き物ではない。それだけに「木」の意味するところは生命に満ちあふれた存在だ。季節に当てはめると、生き物が萌え出てくる春、方位では太陽が登る東、色では若さを表す青ノ、とすべて発展的なイメージが占めている。
それに反して「金」(きん)は鉱物を示す言葉だが、死すべきイメージに当たる。季節では秋、太陽が沈む西、すべてが御破算になっていくところから何もない色である「白」も「金」に当てはまる。
だが、ここで注意してほしいのは「木」は生命にあふれるから良くて、「金」は死すべきイメージにあるから良くないノと単純に善し悪しで見て欲しくないのだ。視点を変えてみると、「木」は拡張していくイメージ、「金」は収斂していくイメージなのである。エネルギーが拡張していくときは姿が消えていくが、収斂していくときは塊に近づいてくる。「金」が秋であるのは、植物が春から夏へと蓄えた力を実に収斂していく時であるからでもある。春の後には必ず秋がきて、秋のあとには必ず春が来るのだからどちらが良いとか悪いとかの話ではない。

歯の場合も若者の歯は「木」気(「木」のエネルギー)が強く、歯の中の歯髄は大きくて活発である。老人の歯は「金」気が強く、歯髄は周辺から硬化して硬くなり、その柔らかい部分はやせ細ったような状態になる。「木」の中には「金」が生じ、「金」の中には「木」が生じるのである。
形態の点から見ると、硬い歯は「金」だが、真ん中の柔らかい歯髄は血管に富んだ「木」である。秋に収穫される果実の実は柔らかい「木」だが種は硬い「金」である。
「木」と「金」は東と西の関係のようにからみあってバランスをとっていくのである。

前回、「木」たる龍の尾から「金」たる剣が出てくる神話の話をしたが、ここにも「木」と「金」のからみあう象徴が見て取れるはずである。
さて、ということは、この神話はこの象徴を通じて何を言いたいのだろうか?「木」気の勢いすぎて盛んなるところ、「金」気が生じるという事なのである。
しかしここでは理屈以上のものを感じてほしい。この神話を通じて、理屈以上のものが私たちの心の内に生じる。それは何か?

結論を急ぐのはやめよう。もうすこし似たものを追って象徴を味わってみよう。(つづく)