残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ暑い盛りですが、みなさまはいかがお過ごしですか?
もうお盆の時期は過ぎてしまいましたが、今回はタイムリーに、死と魂の問題について考えてみましょう。
私の夏休みは特にぼけーっと休めるでもなく、講演や「だるまん」の執筆、そして取材旅行と目まぐるしく過ごしました。
そして8月も半ばを過ぎ、世の中はまだまだ暑いとはいえ、もう秋の気配が出始めていますね。
秋の気配で顕著なのが、日が短くなることですね。秋分の日を過ぎてからどんどん日は短くなっていくのですが、もうひとつ顕著と感じる要因があります。それは蝉たちが死んでいくことです。
今時分、公園などを歩いていると木々に蝉の大合唱が鳴り響いているのに、道端にはお腹が真っ白になった蝉が屍をさらしている姿をよく見かけます。
夏の終りというのは、誰にとっても寂しいイメージがあるものですが、蝉の屍はそのムードをさらに盛り上げてしまいます。
よく蝉の一生は「地中7年地上7日」と言われますが、これを五行で考えてみるとおもしろいことがわかります。
蝉の地中の期間というのは人間で言えば胎生期間に相当します。これは五行では母体にある時期(母なる地球の地中にある時期)ということで「土」と考えます。だから蝉は長い期間「土」のもとで過ごすわけです。そして地上に出ると、子孫を残す仕事をするわけですから、人間で言うと個の仕事を成す時期というわけで「水」に相当します。
したがって、蝉は「土」の時期の方が「水」の時期より圧倒的に多いことがわかります。
一方、人間は胎児の段階でほぼ10ヶ月で、地上を生きるのが平均80年ですから蝉とは比較にならないほどの地上生活をします。だから「水」の時期のほうが長いことがわかります。
この違いとは何でしょうか?
神秘学では蝉にしろ人間にしろ、物質的体の他に霊的身体を持つと考えています。ここでは、それを単純に魂と表現しましょう。
実は、一つの物質的肉体にひとつの魂を持つものを人間と言うのです。動物や昆虫、植物、鉱物となっていくと、一つの物質的肉体にひとつの魂…という関係がくずれていきます。
家畜の犬猫で1ダース位の肉体に対してひとつの魂を持ち、オオカミや虎などの野生の動物では数千匹にひとつの魂という事になるそうです。
したがって蝉のような昆虫になるともう数万単位の数でひとつの魂ということになります。
つまり、蝉のように長い長い「土」の時期を経る生物はまだまだ「水」という個を育てる時期の前段階にある生物だということなのです。
この関係をよく見ていくと、犬猫が10年位の寿命だということも、これからひとつの体にひとつの魂を持つ予備軍であるということがよくわかります。
こうして見ていくと、私たち生物は肉体という器を使いつつ、その魂をどんどん個化していく修業をしているのだということがわかります。心理学者のユングもこのあたりを「個性化」と呼び、意識の無意識への結合という霊的な進化として表現しています。
じゃあ、なんでもかんでも個性化していけばいいのかというと、誤解してほしくないのはエゴイズムに至るような個性化はかえって退化になってしまうということです。五行では「水」の次には「火」という段階への進化があります。「火」はもはや我を越えた我という超越的自我なので、そこにはエゴイズムのかけらもないのです。しかし、このことはまたいずれお話するとして、今回は、人間は蝉に比べて寿命が長い理由は、個を育てることのできる段階に進化している生物なのだと理解していただければと思います。
余談ですが、以上の理由から、ペットの死に際して、深く悲しむのはかえって良くないというとも言われています。なぜなら、飼い主の悲しみゆえにそのペットがグループ魂のもとに帰りにくくなるからです。人間のようにひとつにひとつの魂ならば、霊界に帰らなくなるのはその個人の問題(もちろんこれも退化なので良くない)ですが、ペットだと数十匹いる他のメンバーたちの進化も妨げることになるからです。