《2/4》より
部屋に戻りシャワーをしてから、正装に着替える。
正午、今度は大型バスでアパレシーダ寺院に向かう。それぞれのバスには運転手とガイドさんの他に、二人ずつ体格のいいガードマンが同乗していた。深見先生の指示でそのようにしたのだという。
早朝終わった神業地の往復と同じ、サンパウロ~リオデジャネイロ間を結ぶ幹線道路を再び走る。60歳ほどの日系人ガイドさんは30分ほどブラジル経済の話をしてくれたけれど、殆どが眠ってしまったか、お祈りを始めてしまったので、その後は何も話してくれない。最後部に向かい合って座っている我々8人は起きているのに、他の皆さんは良く眠っているようだ。
隣に座った長永さんはブラジルの民家を撮りたいといって、ズーっとインスタントカメラを胸の位置に構えている。残念ながら思った通りの写真は撮れなかったようだ。ひとしきり企業が並ぶ地域を走った時、「パナソニック」「フジ・フイルム」などの現地工場が見えたが、ここブラジルでは圧倒的に欧米資本の企業が多いようだった。
いつしか隣の長永さんも寝てしまい、車内はとても静かだった。しかしチャンちゃんは何故か眠くない。殆ど起伏のない平坦な土地にも飽き、仕方がないから一人で歌を口ずさむ。
◎ アパレシーダ寺院 ◎
殆ど真っ直ぐな幹線道路をおよそ2時間走り、突然インターチェンジを出たと思ったら、右手に天辺が丸くて白いドーム状の大きな建物が見えてきた。キリスト教の寺院と聞いていたから、尖塔状の形を思い浮かべていたのに、これがアパレシーダ寺院だという。まるでイスラク教のモスクのよう。
寺院の反対側には大きなお土産売場があり、この両地店を結ぶ広いアーケードの両側は大きな駐車場になっていた。売店で買い物をするのでもなく、先生が来るまで1時間近くブラブラする。危険防止ののために全員が金魚のウンコ状態でトイレに向かう。
外は暑い。酷暑と言うべきか。あまりに暑いのでバスのそばにいた物売りの青年から1.5レアル(100円)のアイスクリームを買って食べる。ソフトクリームとカキ氷の中間状態の舌触りで美味しかったけど、少し大きすぎた。しかし昨夜に続いて出された豪華な日本食のお弁当も全部食べた。日本で食べるお弁当より、ブラジルで食べるお弁当のほうがずっと美味しい。隣りの人々は寝てばかりいて、お弁当もろくに食べないのに、チャンちゃんは起きっ放しで、しかもちゃんと全部食べた。明らかにタフ過ぎる。
そうこうする内に深見先生登場。砂糖に群る蟻のように220人の人垣が出来、その周囲を10人ほどのいかにも頑強そうなガードマンたちが取り囲んでいる。観光客が何事かと不思議そうに我々の人垣を覗きながら通って行く。子供たちが大勢来たので、「ジャポネ」と言いながらピース・サインを出したら、女の子が笑いながら真似をした。
ここで深見先生が話した内容は、以下のようなものである。
『ここには北極星から「10万人を救済する」と請願を立ててやってきた体調3000mの金龍神が居ます。この金龍神は、去年私がここに来ることを聞いていて、首を長くして待っていたそうです。この金龍神さんは「アメノトコヤミヒラキヌシノミコト」と言いますが、すでに300万人の救済を成し遂げていますから、今日神上がりして「アメノムラクモヤミジワケノカミ」になりました。今までは窮民を救済することだけで、それ以上の働きは出来なかった金龍神でしたので、3つの珠を上げました。一つは文化を生み出す「紫色の珠」、二つ目は智恵を表す「黄色の珠」、三つ目は物事を進めるパワーと迫力をあらわす「水色の珠」です。ですから、これからはブラジルも国としての文化性を獲得し、また国としての教育レベルも徐々に発展してゆきます。今までこの国に足りなかったものが足されました』
ヨカッタ!!!
深見先生の話が終わると、全員が寺院の中に入ってゆく。外は酷暑であるが、巨大な石造寺院の中は涼しい。中ではミサが行われていたが、このミサ会場には入らず、褐色のマリア像のある二階に上がり、全員が心の中で、あるいは小声で「天津祝詞」と「弥栄」を唱えた。マリア像の前を通り過ぎながら挨拶をし教会の横に出る。
一番後ろを歩いていたチャンちゃんを待っていてくれたかのように、全員が揃ったところで再び深見先生の話があった。
奇しくも昨夜、現地のガイドさんと話していたことと同じ話がなされた。その要点は
『ブラジルは今から30年後、ブラジル史上最大の繁栄を迎えることになる。○○万年前、日本とブラジルには共通の祖先が居た。その縁で日本人が移民としてブラジルに住み、その日本人がお米をブラジルにもたらしたことで、ブラジルでは日本人を「食料の神様」と称えている。それまでブラジルは酸性の土地でろくな食物が取れなかったからである。
今日、日系人の占める人口割合は1.5%程度であるが、大学卒業者の割合は50%以上を占めている。またブラジルは多くの移民を受け入れ実に雑多な人種構成になっているが、これが幸いにも人種差別、民族差別を生まずに今日まできた。差別を生まない方法は、純潔を保つか、過度に混血を進めるかのどちらかしかないでしょう。まさにその例が、ブラジルと日本です。
かつて王仁三郎は「どんどん行け、どんどん行け、ワシも後からゆくから」といって移民を進めましたけど、王仁三郎は結局ブラジルには来ませんでした。その代わり私がきました。
ついでに、アパレシーダ寺院の縁起が浅草寺の縁起に似ているから、「関係あるんですか」って聞いたら「特に関係はない」と言っていました』
おおよそこのような内容でした。30年後、ブラジルが史上最大の繁栄を迎える、というくだりを聞いた時は本当に嬉しかった。チャンちゃんのみならず、おのずから全員が拍手をしていました。
この後、深見先生はここでオペラを歌ったのである。風景と歌声と曲がよくマッチしていて先生は最高にかっこよかった。「では、これで解散しますが、サンパウロの日本食レストランで食事が用意してあります。私もまいりますから、そこでまた会いましょう」ということでアパレシーダ寺院参拝は終了しました。
それぞれ最後の記念にと、アパレシーダ寺院を背景に最後の写真を撮り、三々五々寺院からバスが待つ駐車場に向かいました。広いアーケードを歩きながら、何故か低く拳を握り締め「やるんだ」という思いが湧いてくるのでした。
1時間程度の時間の経過で、太陽も西に傾き心地よく心も清々しい。バスが走り出した時、あのアイスを売っていた物売りの青年の、思いがけず沢山売れてご機嫌な様子が見えた。幸せな表情っていいものだ。「みんなが幸せになれたらいいね。ブラジル!頑張ってね!」そんな言葉を心の中で語りながらアパレシーダ寺院を後にしました。
6時であったが、南半球のブラジルは日本でいえば冬の季節。既に陽も暮れかかり、間もなく宵闇となった中をバスは走リ続けました。なんでこんなに眠くないのだろうと思っていたチャンちゃんも、流石に7時を境に爆睡してしまったらしい。
<レストラン「燦鳥」>
寺院を出てから2時間半後、黒い真珠・サッカーの王様ペレや弾丸の貴公子アイルトン・セナも来たという日本食レストラン「燦鳥」に到着した。
先生は先に着いていたが、すぐにどこかに消えてしまった。全員が集まって乾杯をした後になって先生が戻ってきた。寺院でオペラを歌った時、浮遊霊が皆に着いてきてしまったので、トイレで救霊していてくれたのだという。
深見先生がアパレシーダ寺院のお土産売場で多量にまとめ買いしてきたという「褐色のマリア像」に神気を入れて参加者全員に一つづつプレゼントしてくれた。「ありがとう先生」
『プレアデス『メシアメジャー』からの黙示メッセージ』村中愛(ヒカルランド)《中編》
【黒い像のマグダラのマリア】
この後、全員で「夏の思い出」を歌ってから、先生は一足お先に日本に帰るために空港に向かった。深見先生のスケジュールはいつだって超過密状態なのだからしかたがない。バイバイ。
最後に杏仁豆腐と小豆のアイスクリムの混ざった美味しいデザートを食べてレストランを出る。
バスに戻る前、踊り場で小学生じゃあるまいし、いちいち点呼を取っている。あまりに馬鹿馬鹿しいので踊り場の隅でアングリとだらしなく口を開けていた壷を3つ逆さにしてきた。この方が口を閉じた堅い石(意志)のようでカッコイイ。
車中、ガイドさんが「ブラジルの観光はいかがでしたでしょうか。サンパウロは気に入っていただけたでしょうか。明日皆さんはお帰りになられるそうですが、私が皆様に会えるのはこれが最後です」とかなり哀愁を込めて語るのである。しかし小生と同室の相棒以外の殆どの参加者はアチバイヤーの山上と今日のアパレシーダ寺院しかみてないのである。もう一度ブラジルに来ることがあるかどうかわからない。たとえ地球の真反対側であるとしても、我々の世代にブラジルが遠いという意識はない。人柄の良さそうな初老のガイドさんの気持ちは十分わかるが、ピントのずれた一人芝居を見るような情景であった。
すべての神業が終わった。明日は唯一晴れて堂々と観光ができる日である。
ところが、ところがである。なんと明日も外出禁止の禁足令が出た!!!。俄然、憮然。部屋に帰っても納まりがつかず、フロントロビーの椅子に座って豊田君と話す。彼は「集団の一員として来ているから禁足令を守る」と言う。納得がゆかず憮然としたチャンちゃんの態度に「素直じゃないですね」とキツーイ一発。彼が部屋に帰ってから別の女性2人と話しても豊田君と同じ考え。全くどうしようもなく腑に落ちないままに、とにかく寝る。



