《3/4》より

 
 

☆★☆ 8月12日 ☆★☆

 7時起床。3日目のバイキングの朝食であるが、今日はあまり食欲がない。部屋に戻って一人で抜け駆けするつもりでいたら、相棒が「バスの中で一緒だった女性2人に『一緒に買い物に行ってください』と誘われた」と言う。ロビーで密会したら、なんと昨夜フロントロビーで話したあの二人ではないか!。昨夜のあの発言と態度は一体全体何だったのだ!!!

 掟破りの脱走兵は以下の4名である。

 林英〇子(富山県)杉田〇二子(岡山県)

 森崎〇郎(長崎県)チャンちゃん(東京都)

 自分勝手な判決。「以上の4名は脱走兵ではあるが、日頃一般常識を弁えた自己責任感覚に優れた成熟した大人であると判断し、脱走したと言う事実いかんに係わらず、この選択行動を責めることは相応しくない。よって特別配慮の上、集団行動の破壊者とする罪状には当てはめず、無罪とする」こんなんでいいでっしゃろか。

「凶悪犯罪が多発していた故の、深見先生の親心、子知らず」とでもいうべきか、「人類最高の神人、深見先生の神心、馬鹿知らず」とでも言うべきか、裏口から市内に出たパープー・アウトロー4人のノー天気脱走観光が始まった。

 

<サンパウロ市内徒歩観光>

 朝9時から午後4時まで7時間近く市内を歩き回って街の活気に触れる。もともと観光目的の旅ではないので、誰もガイドブックは持っていない。行き当たりバッタリである。この日歩いたのは、ホテル~お茶の水橋~セー広場~日本人街。この区間の往復である。途中に大きな教会などがあったが名前はわからない。

 ブラジルは冬とはいえ、日中は東京と同じくらい暑いのに、ブラジル市民は9割方長袖を着ている。市の中心部は平日なのに週末の新宿の歩行者天国のような人だかり。30代、40代の男性をかなり沢山見かけたから、この国の経済状態が知れようというもの。

 後ろに立っている黒いオッサンが、我々3人の真似をしている。

 書店は少なく、あっても本の数は極めて少ない。露天で売っているものは、金額的には10レアル程度が上限の品物である。時計、サッカーウエア、皮革製品、そして堂々と女性用の下着、小型の電気製品、飲み物、サングラス等等。

 街を歩きながらいきなり「お兄ちゃん」と呼ぶから、即席の妹になった英吏子とサッカーウエアを8レアル(560円)でそれぞれ買ってその場で着替えて街を歩く。妹は黒い薄手のニットを着ていたから、暑さに堪えられなかったのであろう。この方が遥かに涼しい。

 妹の林英吏子。この名前、明らかに中国系。英才の誉れ高い官吏、林(リン)さんの子供、と言うのだから。しかし富山県出身ということは、ハトシェプスト王女の御神縁か。婚約中の身でありながら「定収の田舎の公務員の妻にはなりたくない」とのたまわっていた。

 圧搾機で作っている砂糖黍のジュースを0.5レアル(35円)で買って1杯を4人で飲む、本当に砂糖水。

 昼食時になっても特にお腹は減らないので、喫茶店にでも入って少し街の様子を眺めたかったが、そのような立地条件の良い喫茶店がない。というより喫茶店そのものが殆どない。妹が日本にもあるミスター・ドーナッツに入りたがったので、チャンちゃんはそれではつまらないと思い、三人を残して休む間もなく一人で街中をブラブラする。

 この時屋台で全体がブルーの奇麗な腕時計が目に入り、これを10レアル(700円)で買った。これはたいそうなお気に入り。後で皆に「イイデショー」と言いながら自慢して見せた。ヒッヒー。

 途中キリスト教会に隣接する広い公園を取り囲むようにして建つポルトガル支配時代の建物が目にとまった。10階建てほどのビルの上に円柱状の形をした妙な彫刻が見えた。トロリーバスの架線と樹木の緑の下から見上げたその建築物は何だったのだろうか。何かの写真ででも見たことがあるような気もするが、このツアーのために観光ガイドブックなど全然見ていない。やけに気になる記憶…..。

 しばらく歩いてたどり着いた「日本人街」の入口には真赤な鳥居がいくつも並んでいた。道を尋ねた「みのえ商店」でお土産を買う。55歳ぐらいの店のオバサンは40年前にブラジルに来たそうであるが日本語が上手。家庭では常に日本語を話しているという。

  《参照》  『もう一つの日本』皆川豪志・徳光一輝(ソフトバンク新書)

          【良き日本が保たれつつも、寂れていく日系社会】

 杉田さんと妹が、蜂蜜の石鹸やら木製の鳥の形をしたペーパーナイフやらを沢山買っていた。チャンちゃんもガラナの粉末を2瓶買ったので、褐色の小さな木彫りのお土産をサービスしてくれた。妹は「昨夜このお店で買い物をする夢を見た」と言っていた。お店の前でオバサンと記念写真を撮って別れた。

 途中で三重県橋という名の陸橋を通った。平日なので日系人の子供たちはみんな学校に行っているのだろう。街で見かけることはなかった。

 街は余りに雑多な人種なので、我々が歩いていても外国人とは全く意識されていないようだ。公園のベンチに座っていた学生とおぼしき女性達に声かけて一緒に写真を撮ったりもした。

 サンパウロ市内の緑地は東京に比べたら遥かに多い。そこに生えている樹木は、どれも日本では見ることのできない樹木ばかりだった。

 ポルトガル語が話せず観光客と分かっても、露天の店でボラれることはない。韓国や中国や東南アジアではこうはいかない。国家レベルの経済が立ち直りさえすれば、ブラジルでは安定したビジネスが可能であることが分かる。

 チャンちゃんが露天の出店で買ったのは、時計とサッカーウエアと革ベルトの三品で、総額24レアル(1700円)である。

 ビル内のお店では、買いたい品物を店員に告げると、伝票に値段を書いてくれて、その伝票と品物を持って、店の一番奥にあるレジに行きお金を払うと、品物を袋に入れてくれる。少し大きなお店はどこもこのようなシステムになっていた。

 男女4人のスットコドッコイ・サンパウロ市内観光は、無事何事もなく完了した。チャンちゃんは3日間毎日トンズラしていたが、妹と杉田さんの二人は始めてのトンヅラを大いに喜んでいたようである。無理もないというか、当然だよというか、遥遥地球の反対側まで来て、いくら重大な神業が目的であたとしても、全然観光しなかったと言うほうが、一般的には異常なのだ。直前にいくら凶悪犯罪が起こっていたとはいえ、市内に特別な警戒態勢がしかれていたわけでもない。「結果オーライということで、神様許してくださいね」

 

 ホテルの部屋に戻り、シャワーを終え、帰り支度を始める。連日スーパーで買い貯めておいたお土産で、スーツケースが重い。

 夕方ホテルのロビーに集合した神業一徹の同胞たちの顔色は、冴えていたのかいないのか。

 宵闇迫りつつある時、ストロボの付いていないカメラのフイルムを使い切ってしまおうと、掟順守でサイコーにツマンネエ奴の豊田君を誘ってホテルの前で写真をパチパチ撮る。この時、慌てていたせいか大切にしていた扇子をなくしてしまった。チョット残念。

 

<バスの車内で>

 バスはホテルを出て空港に向かう。現地の日系人ガイドのオバサンが、バスの中でブラジルの教育状況を話してくれた。経済状態が悪いので、思うように教育が進まないのだそうだ。歯痒い様子でブラジルの教育状況・問題について語ってくれた。

 もっともな事であるが、彼等日系人は我々日本人より遥かに本国・日本への思い入れが強いのだ。そんな思いが少ない言葉の中にヒシヒシと感じられた。彼等は、日本人である我々よりも、明らかに神道を基盤とする日本文化に強い誇りを持っている。

  《参照》  『水人』 中里尚雄 (扶桑社)

        【マウイ島のハイクという地名】

 

<サンパウロ空港>

 フライト時刻は夜10時なのに、6時に既に空港である。アメリカン航空のチェックインカウンターには、日本語の話せる係員が一人しかおらず長蛇の列。 “ Can  you  speak  English ?“  と聞くから “ Definitely  No ” と力強く応えたら大いに受けていた。しかしさんざん待ったあげく、これ以上待つのが嫌になったので、 “ a little “ と言うことにして英語で質問を受けた。「スーツケースはいつ買ったか、いつ閉めたか、機内に持ち込む鞄はいくつか、カメラは持っているか、そのカメラは新しいか古いか、何年前に買ったか」などを聞かれた。この尋問をパスしたあと、荷物預けカウンターに行く。ここのレディーは可愛くて愛想がよかったので、一人で勝手にルンルン気分。

 ところでスーツケースを預ける前に空港施設使用料36$を払うべきであったのだが、チャンちゃんは気付かづに払わぬまま来てしまった。ラッキーというべきか、不明をわびるべきか分からない。財を基準にして言えば明らかにラッキーではあった。故意ではなかったのだからしかたないでしょ。

 皆が買い物で免税店をウロウロしている時、チャンちゃんは早々搭乗カウンター前の椅子に座って「ワイルド・スワン」を読み始めた。菱研のゲストで来たユン・チアン女史の長編ノン・フィクションであるが、こんな時でなければ、こんな長編を読む機会はない。

 2時間ほどすると搭乗のアナウンスが始まったので、残っていたブラジル通貨の40レアルを使い果たそうと思い立ってハンバーガーショップの売店で沢山お菓子を買い込んだが、それでも23レアルが残ってしまった。もうレアルを使える場所はない。

 搭乗口でツアラーの確認をしていた鈴木さんに「(集団行動にいつだってテンデ従わないチャンちゃんであっても)とにかく乗ってさえくれれば・・・」と言われながら一番最後にゲートをくぐった。

 ブラジル神業を終えた一行のうち60人ほどを乗せた飛行機は、現地時間の夜10時にテイク・オフ。チャンちゃんは何事も無かったかのように本を読みつづけていた。深夜便なので機内食を出したのは男性クルーであった。感じは悪くない。9時間の夜間飛行。少しは寝たのだろうか。

 

☆★☆ 8月13日 ☆★☆

<マイアミ空港>

 朝8時。マイアミ空港に着く。

 乗り継ぎ時間は2時間ほどあったので、残っていた100$でお土産にと、コマゴマした食べ物を買った。外に出てみたが、かなり湿度が高く蒸し暑い。車は機能重視で日本では見られないユニークな形のものが多い。

 その後は外の飛行機が見えるラウンジに座り、飛行機に見入っている黒人の子供たちや、ブロンド髪の典型的なアメリカン・ビューティーやその家族の様子を見ながら時を過ごす。ミネラル・ウォーターのボトルを抱えて眠り続ける少女が可愛かった。ウエストが2mほどもありそうな制服を着た女性の空港職員がやけに何人も目についた。ひとよんで小錦レディー。これもアメリカ的といえばアメリカ的か。

 

<シカゴ空港>

 マイアミからシカゴへ、飛行時間は3時間。正午過ぎにシカゴに着く。典型的なアメリカン・フード1個5$のジャンボ・バーガーが目に入ったけど、この大きさではとーてー食べきれない。しばし立止まって思案したけれど、目の欲望は胃の判定に屈した。

 現地時間で13日の午後3時、飛行機は成田に向かってシカゴを飛び立った。太陽を追いかけながら強烈な日差しの中、常昼12時間の飛行であるが、時差と日付変更線を越える関係で、成田に着くのは14日の午後3時である。

機内では2時間ほど寝て、映画を1本見た他は「ワイルド・スワン」を読み続けていた。

 いつか近いうちに、ブラジルからユン・チアン女史のような人が現れて、ブラジルの文化を導き高めて行くのであろう。またこの本を読みながらブラジルのことを重ね合わせてみると、個人においても、国においても、その生死の鍵を握るのは、教育であり文化であることを、改めて思わざるをえなかった。日本人はブラジルや中国が近年経験してきたような経済的・政治的な深い闇を知らない。そのために教育や文化がもたらす光の尊さを忘れてしまっている。あるいは実感できなくなってしまっているのに違いない。そのような不感症国家・日本を救うために神がこの国に仕組みを降ろしたのではあるけれど..。

 そんなことを思ううちに「成田上空は曇り、ただ今の気温は○○度です」と機内放送が入った。積乱雲の乱気流で着陸直前の飛行機は激しく揺れたが、エアーポケットに入った感覚からすれば、殆どたいしたことはない。後ろの席に「神業の最後でまさか墜落」などと面白いことを言う輩がいたりもした。

 

<成田空港>

 定刻より10分送れて着陸。成田空港なので、みなガイドの鈴木さんの指示を待たずに進む。チャンちゃんはコンタクトを外していたので殆ど周囲が見えない。既に我々のグループは人込みの中に紛れ込んでしまっていたので、誰にも挨拶できぬまま一人で空港を出た。真ん前の表示が見えず、係員のオジサンに笑われながら京成線の乗場を教えてもらい乗車券を買い特急に乗った。

 5時30分、大塚のアパートに到着。ご苦労様。

 

日々は途切れることなど無い。

現実世界は1週間前の日々と

どこも変わりなく続いている。

しかし、未来世界の深層意識が変わったのだ。

このような重要な神業のためにブラジルに行き

現地参加したからと言って、なにも誇ることなどない。

わざわざ現地に行かずとも

真摯に祈りつづけていた人々を看る

神の心の中にこそ誇りがあってしかるべきだ。

平凡な日々の中で継続される神業こそ本物。

このような人々こそ尊い。

神々ですら頭を下げて通るのだ。

  (1999年9月7日・記す)

 

<了>