5巻 《前編》 より

 

【義と愛】
「許せ、千鶴子。私は明日死ぬ」

落ちたその声は、闇に沈む。
もうこの人は死ぬのだと、悟る。
私を置いて、もう二度と手の届かないところへ行く。
「・・・私は私の名の下に、散っていった数多くの命を知っている。私のために奪った命を知っている。私はこの名を捨てられぬ。私一人だけ逃げられぬよ」
片岡さん、彦四郎さん、東湖さんの顔を、思い出す。
下赤坂や、千剣破で会った、名も知らない兵士たちを思い出す。
・・・中略・・・。
「元弘の年から今日まで続いていた戦も、明日、私が死ぬことによって、全て終わる」 (p.141)

「一将功成りて万骨枯る」という諺を聞いたことがあったとしても、将としてのこの痛みと悲しみは、その世界にある程度深く意識を通わせないと分からない。比翼連理のラブストーリーとして本書を読んだであろう若い女性読者たちは、どの程度、この大塔宮の痛みを理解するのだろう。ましてや、父・後醍醐帝から“再起の要請”どころか“自害の命令”を受けたのというのであれば、もはやどうすることもできないだろう。この時代、義という愛は、最愛の人に向ける愛より重く大きい。比較できるものではない。それは、どうしようもないこと。
「いや、私はあの時死ぬべきだったのかもしれない。吉野で私が」
「そんな悲しいこと、言わないで!!!」
突然声を荒げた私に、彼は戸惑った顔をした。
「・・・すまぬ、千鶴子」 (p.141)

大塔宮とすれば、吉野(金峯山寺)は、忠臣・村上彦四郎を亡くすなど、アカノクニ(戦乱)が始まった序盤戦における手痛い敗戦地。ここで終わっていれば枯れる骨(失われる命)は最小限で済んでいたはず・・・という悔恨の思いだろう。
しかし、雛鶴とすれば、大塔宮と出会い幸せだったミドリノクニ(十津川)の程近くにある吉野。「大塔宮が生きていてよかった」と、むしろ先の未来に希望をもてたという印象の地名なのだろう。それにその時、「ヒナがいるだけでどうしても死にたくなどないと思うとは、不思議なものだ(1巻 p.180)」って、言ったじゃない!!!
「・・・すまぬ、千鶴子」 
そう、それしか言えない。

 

 

【自害】
そして私から視線をはずして、正面を見つめた。
見たこともないくらい、強い瞳で。
「離れろ、千鶴子」
はっと息を呑む。
嫌だと言って抗いたい。
乱れて、騒いで、その命を繋ぎ留めたい。
でも。
「・・・はい」
すっと手をついて、一度ひれ伏す。
「今日まで、貴方に愛されて幸せだったわ。本当に、ありがとう」 (p.148-149)

この場面における数ページに渡る描写、なぜ、現代人にこれだけ書ける?
この場面に居て、それを明確に記憶している人でなければ、とうてい書けないだろう。
「首は持っていけ、千鶴子。誰も知らぬところに埋めてくれ」
ただこくりとうなずく。
・・・中略・・・。
見たこともないような、美しい決意の顔で、世界を見つめる。
その手に、懐剣が握られた。
「・・・優しい国が、来れば良い」  (p.150)

大塔宮が使った懐剣は、吉野で最期を迎えた忠臣・村上彦四郎が持っていたものだったらしい。
「優しい国」
その実現を望むことこそが、この小説の希いだろう。

 


【「譲る強さを覚えろ」】
「姫、首を貸せ。俺が清める。姫は見るな」
「この炎天下です。姫は見ないほうがいい」
蓋を開けたら、もう私の知っている彼ではないかもしれない。
けれど、と抗うようにぎゅっと強く白い箱を抱きしめた。
「・・・いいわ。私がやる」
「やめろ。見るな」
「いいの、私が・・・・」
「そんなん強さでも、なんでもねえぞ」
はっきりとそう言った宗忠さんに、目を見張る。
「強さの意味を履き違えるな。このまま箱の中を見たら、きっと姫はまた心を病む。譲る強さも覚えろ」 (p.162)

雛鶴を護って道中を共にしていたのは、藤原宗忠と馬場小太郎。
いずれも、足利直義、義に直な人の従者。

 

 

【伝説】
700年後の伝説では、姉ちゃんは秋山峠で死ぬ。
お腹の子供は共に死んだとも、子供だけ助かったとも、2人とも助かったとも、言われている。
『史実』ではなく、曖昧で、不確かな『伝説』。 (p.204)

雛鶴姫と宗忠と小太郎の3人は、東海道を西に進んで京へ向かうつもりだったのだけれど、身重の雛鶴姫では、当時橋など架かっていなかった富士川や大井川を渡れないと判断。中山道を進むべく、小田原で北に進路を変え、相模の津久井から甲斐の国へ入った。
しかし、雛鶴姫は、秋山峠(現在は雛鶴峠)で力尽きてしまったらしい。
雛鶴姫最期の場面は、痛すぎて、書き出す気になど、到底なれません。

 

 

【宗忠と小太郎】
「姉ちゃんは死んだんだ。足利に、一緒に戻ろう」
この二人の歴史は知っていたけど、尋ねた。・・・中略・・・。
けれど、宗忠は小さく首を振った。
「・・・俺はこのままここに残る。この村に住んで、姫を待つ」・・・中略・・・。
「わかった。直義には俺から言っておくよ。小太郎はどうするの?」
「私も、雛鶴姫の従者です。ここで姫をお待ちします」 (p.231)

現在、雛鶴峠の下には、雛鶴トンネルが通っていて、
その北東側に、雛鶴神社(上野原市秋山無生野)

南西側に、雛鶴神社(都留市朝日曽雌)

という二つの雛鶴神社がある。そのうち、雛鶴の墓碑がある都留市の雛鶴神社には、「供の松」というのがあったらしく、その前に説明の看板が立てられています。それによると、昭和60年頃この2本の松は枯れてしまったとあったので、姫を待っていた二人の従者は、雛鶴姫の御魂を持った方がこの世に生まれていたのを知って、帰って行ったのだろうと思いつつも、松のあった場所に向かって、「もう、いいんだよ。雛鶴姫の御魂を持った人は、この世に生まれて来たんだから~~~。ありがとぉ~~~、ありがとぉ~~~」って叫んでいました。宗忠さんも小太郎さんも、もうそのことは分っていたから、帰られ、松は枯れたのでしょう。
この時代は、現代よりも、はるかに「義」を尊ぶ時代でした。足利直義のように、武将の名で「義」の一字が入っている名前は、圧倒的に多いはずです。戦で殺めた命を弔うべく晩年には出家する武将も多かったことでしょう。
宗忠さんも小太郎さんも従者の立場であれ、この時代の「愛である“義”」を尊んで生きることを選んだのでしょう。今この時代をダラダラと生きているだけのチャンちゃんなんかより、はるかに立派な人たちです。

 

 

【まとめ】
この作品が、『太平記』のグレーゾーンに光を照ててくれたことは、とても嬉しかったですし、著者さんの意識を通じて描かれる登場人物たちの美しさに魅入られ、どの人物もみな好きになってしまいました。
著者の梅谷百さん、素晴らしい作品を書いてくださって、ありがとうございました。

 

 

<了>

 

 

『キミノ名ヲ』 1巻 梅谷百 《前編》