スピリチュアルな集いの場で2年ぶりに再会したジョルジュに、チャンちゃんの身の上に起こったライフイベントの数々を話したら、この本が存在することを教えてくれた。ジョルジュは梅谷百さんのことを良く知っていて、本書の内容のほんの一部を話してもらっただけで、チャンちゃんはドッキュ~ンと撃たれてしまい、闇雲に思考が散乱してしまう日々を数日間過ごしていた。1巻から5巻まで(6巻は番外編)を読み終え、漸く、この読書記録を書く気になったところ。とはいえ、一体全体、どのチャンちゃんでこの読書記録を書くべきなのか・・・。

本書は、『太平記』に登場する主要人物である後醍醐天皇の第3子・大塔宮護良親王と雛鶴姫の、時空を超えた恋の物語。時空を跨ぐ内容としては、映画の『インターステラー』なんかよりはるかに面白いし、純愛小説としても、涙なしに読み終えることなど絶対に不可能な美しくも悲しい物語である。

第1巻の副題は、「ミドリノクニ」。戦乱前に過ごした緑深い十津川での幸せな時期を象徴している。全巻とも副題は「○○ノクニ」と色彩が充てられており、各章も、数字ではなく、「灰白」、「唐紅」、「濃藍」、「露草色」などの色で表されている。人々が自然と共にあった昔の時代ならではの色彩表現が、全巻を通じて強く寂しく艶やかに悲しく物語を彩っている。20107月初版。

 

 

【鎌倉】

車がアクセルを踏んで加速するたびに、気持ちが重くなる。

このもやもやと胸の奥に巣食う漠然とした不安は、一体なんなのか。

鎌倉は切ないほどの絶望と、苦しいほどの寂しさが詰まっているような気がする。

一度たりとも鎌倉に行ったことなんてないから、そう思うこと自体不思議なことだけれど。(p.13)

現代を生きる高校生の桜井千鶴子の心境が、物語の始まりとしてこのように綴られている。

 

 

【700年】

《ひな・・・》

違う。私の名前は千鶴子だ。

鎌倉に着いてから、あの声が纏わりつくように頭の奥で響いていたけれど、はっきりと言葉になって響き始めた。

どういうことかわからなくて、戸惑いばかりが増す。

けれど不思議と怖くなんてない。

辺りを見回すけれど、私をひな、と呼ぶような人は傍にはいない。(p.18)

 

私の手を取る冷たいこの手は、この鳥居の向こうの神域のような場所から生えているみたいだった。

私はこの手を知っていると、何の根拠もなく確信する。

ようやく会えたと、この冷たさに逆にもっと触れていたくなる。

この寂しくて、でも愛しい気持ちは、一体なんなのだろうか。

ただその手の向こうに見える白い鳥居が、儚く滲んで見える。

美しい白が。胸を詰まらせて苦しい。(p.19)

白い鳥居とは、鎌倉宮 の鳥居。

その手は私を離そうとしない。

《700年。あの時交わした約束を、今叶えよう》

その瞬間、あったはずの地面が、足元から崩れ落ちた。(p.19)

こうして千鶴子は、冷たい手に引かれて、700年前、鎌倉時代の日本にタイムスリップしていった。

千鶴子がタイムスリップした場所は、奈良県南部にある十津川。

一方、千鶴子の弟で歴史に詳しい大和は、同時代の鎌倉にタイムスリップしていった。

 

 

【灰白(はいじろ)】

白に薄い青を刷いた氷色の着物を着た男の人は、私の目の前に座りこんで、どういうわけか熱心にお経を読み上げてくれている。

・・・中略・・・。

取り乱していたから全く気づかなかったけれど、この人美形だ。

弁慶が被るような頭巾を被っているから全体の姿は不明だけれど、眉目秀麗って言葉がぴったりだと思う。

・・・中略・・・。

月の光が反射して瞳が灰色に映る。

その姿が、綺麗な狼に見えて時が止まる。

「もう狐は憑いていないだろう。人間に戻っているはずだ。この私自ら祈祷したのだからな」

彼が大真面目に言ったのを聞いて、思いっきり脱力する。 (p.27-28)

このお坊さんとおぼしき人物、問われて「尊雲」と名乗った。

少し灰色がかった白い着物は、朝の光があたって綺麗だった。

「ああ、それでいい」

「これって何色?」

「灰白」

そんな色の名前、聞いたことがない。

『灰色』で一括りしていたけれど、そんな美しい名前の色があるなんて知らなかった。

昨日の夜、月光に反射したこの人の瞳に映った光と同じ色だ。 (p.37)

『灰白』は、尊雲、即ち、大塔宮護良親王の色。

 

 

【諱(いみな)】

「『いみな』って何?」

眉が歪んだけれど、彼はそうだったというようにため息を吐いた。

「『諱』とは、人間の本名だ。例えばヒナの名、『桜井千鶴子』ならば、桜井『雛鳥』千鶴子。となる。桜井が苗字。千鶴子が本名、つまりは諱。雛鳥が字(あざな)だ」

「やめてよ。『雛鳥』って言うの」

それにしてもこの人、私を『ヒナ、ヒナ』って呼ぶくせに、私の本名をフルネームで覚えていたのか。(p.41)

『雛鳥』は、『鶴』というほどに成長した大人ではないからということで、大塔宮が付けた字。

後に、この字と諱が一緒になって『雛鶴』と呼ばれるようになってゆく。

この時代の人々はたくさんの呼び名をもっていた。

   《参照》  『名前の日本史』 紀田順一郎 (文藝春秋)

            【諱・忌み名】

例えばこの人は私を『ヒナ』と呼ぶけれど、それはあだ名。

どんなにこの人がヒナと呼ぼうが、私が初めて会った人に「桜井ヒナです」なんて名乗らない。

それとは別に、普段名乗る名前が字。(p.42)

“あだ名”と“字(あざな)”は違う。

私の本名が桜井雛鳥千鶴子だったら、「桜井雛鳥です」って名乗るのが正解で、『千鶴子』は決して名乗ってはいけない名だ。

つまり、口に出してはいけない名。それが『諱』。

「本名を呼ばないって、どうして?」

「いろいろあるのだ。簡単に言えば、占術や呪術などに使われると困る。とにかく私の名をヒナが口に出すのは許されないことだ」(p.42)

   《参照》  『人生の錬金術』  荒俣宏・中谷彰宏 メディアワークス

           【国語という「呪文術】

           【言葉による所有】

 

 

【「私と共に生きろ」】

彼の強い瞳が私の瞳を射って、息を呑む。

その冷たい指先が、私の頬を走って涙を拭う。

「ヒナの時代を、捨てろ」

私の時代を、捨てる? それは・・・・・。

「・・・・・この時代の人間になるのだ」

彼は瞳を揺らして呟いた。

2010年ではなくて、1331年の鎌倉時代の人間になる?

「元の時代になど帰したくない。誰にも渡したくない。だから私と共に生きろ」 (p.119)

大塔宮からこのような命令があろうとなかろうと、千鶴子が自発的にこの時代に残ることを決意したのは、言うまでもない。そもそもからして、本書は、大塔宮と雛鶴の時空を跨ぐ魂の恋の物語なのだから。

大塔宮は、着物の着せ方が分からないらしいヒナの様子から、狐に憑かれたのではなく本当に700年先の未来から来たのだということを理解していた。ただ、ヒナの側からすれば、夜這いを受け入れないと家の存続にかかわることなど様々なショッキングな習慣の違いから、鎌倉時代の生活様式に戸惑うことが少なくない。

また、相手が帝の子であることを知れば、オナゴなら誰であれ100%靡くこの時代、ヒナは現代人的な人格そのままにそういったことに捉われることなく普通に生きていたが故に、反って大塔宮のみならず周辺の人々すべてを強く魅了する美少女として、この物語を強力に牽引して行く過程は、読んでいて本当に面白い。

 

 

1巻 《後編》  へ続く