
リオのパラリンピックが放映されている今日この頃だけれど、だからと言って読んだのではなく、気軽に読めそうな著作だと思ったから。2007年6月初版。
【丸いサッカーボールの中に入っているもの】
しかし、スピリチュアルな世界を学んだ人々は、“夢”は、“物質世界の上にある高次元な実在界(非物質世界)での実相”であることを知っている。非物質な高次元世界とは、想像・即・創造となる世界だから、“夢”は“「創造」のために必要な「想像」”と同じ意味に理解しているはずである。この理解を踏まえているのが“イメージトレーニング”である。
《参照》 『レムリアの叡智』 オレリア・ルイーズ・ジョーンズ (太陽出版) 《前編》
【想像は創造的な火花】
私のS級ライセンス取得のお祝いの言葉とともに、こんな話が添えられていた。
「C級でご一緒のとき、『夢を忘れるな』ということを教えていただきました。
思い起こせば、『ボールを奪われない』という練習メニューの指導実戦で、羽中田さんは冒頭にボールを持って、『この中に何が入っている?』と私たちにお聞きになられ、『ここには夢が詰まっているんだよ。だから絶対に失ってはいけないんだよ』とおっしゃられましたよね。
私は、このときほどショックを受けたことはありません。
そしてそのとき以降、すべての面で『夢の大切さ』を、いつもいつも、自分に、子供に、家族に、事業をやってきた仲間に、会社の仲間に、周りの人々に言い続けてきました。(p.8-9)
“夢”って、人によってとらえ方が違うだろう。多くの人々は、“寝ている間だけの非現実な出来事”という理解をベースにした認識でいるのではないだろうか。“実現することがあったとしても、極めて稀なこと”というような。「C級でご一緒のとき、『夢を忘れるな』ということを教えていただきました。
思い起こせば、『ボールを奪われない』という練習メニューの指導実戦で、羽中田さんは冒頭にボールを持って、『この中に何が入っている?』と私たちにお聞きになられ、『ここには夢が詰まっているんだよ。だから絶対に失ってはいけないんだよ』とおっしゃられましたよね。
私は、このときほどショックを受けたことはありません。
そしてそのとき以降、すべての面で『夢の大切さ』を、いつもいつも、自分に、子供に、家族に、事業をやってきた仲間に、会社の仲間に、周りの人々に言い続けてきました。(p.8-9)
しかし、スピリチュアルな世界を学んだ人々は、“夢”は、“物質世界の上にある高次元な実在界(非物質世界)での実相”であることを知っている。非物質な高次元世界とは、想像・即・創造となる世界だから、“夢”は“「創造」のために必要な「想像」”と同じ意味に理解しているはずである。この理解を踏まえているのが“イメージトレーニング”である。
《参照》 『レムリアの叡智』 オレリア・ルイーズ・ジョーンズ (太陽出版) 《前編》
【想像は創造的な火花】
【夢の実現】
また物質界に生きている人々は、積年の信念体系によって時間という刷り込みが完了してしまっているから、非物質界のように創造・即・創造とはならない。故に、物質界で夢を実現させるためには、努力、工夫、情熱といった言葉で表現される状態の継続的維持が、どうしても必要になってくる。
一途に情熱を傾ける心魂のある人なら、情熱を傾ける分野がいかなるものであれ、その分野の中で夢を抱き続けることができる。それは、努力、工夫、情熱の継続的維持と同じ意味のはずである。
“夢”は“根拠なき自信”であってもかまわない。つまり“夢”は、「認知機能」ではなく、「ライフスキル機能」によって活用されるべきもの。この2つの機能の違いについては、下記リンク著作の《前編》《後編》を通読して、きちんと理解しておくべき。
《参照》 『ゾーンに入る技術』 辻秀一 (フォレスト出版) 《後編》
【自分を信じるか疑うか】
また物質界に生きている人々は、積年の信念体系によって時間という刷り込みが完了してしまっているから、非物質界のように創造・即・創造とはならない。故に、物質界で夢を実現させるためには、努力、工夫、情熱といった言葉で表現される状態の継続的維持が、どうしても必要になってくる。
一途に情熱を傾ける心魂のある人なら、情熱を傾ける分野がいかなるものであれ、その分野の中で夢を抱き続けることができる。それは、努力、工夫、情熱の継続的維持と同じ意味のはずである。
“夢”は“根拠なき自信”であってもかまわない。つまり“夢”は、「認知機能」ではなく、「ライフスキル機能」によって活用されるべきもの。この2つの機能の違いについては、下記リンク著作の《前編》《後編》を通読して、きちんと理解しておくべき。
《参照》 『ゾーンに入る技術』 辻秀一 (フォレスト出版) 《後編》
【自分を信じるか疑うか】
【想い続けていた夢がかなう日の朝は・・・】
暁星高校のコーチとして、地方大会を戦っていた時のこと。
「心がシーンと静まり返る」状態を別の表現で言えば、雑念が消えた「明鏡止水」状態のことだろう。
それって、高次元界とのアクセス状態が最良のときである。
神道的表現で言うなら、「神を行ずる」ことが可能な状態。
ソチオリンピック、女子モーグルの上村愛子選手は、「その日、心は静まり返っていた」と言っていた。そして、ベストパフォーマンスの滑りをしたのである。結果は4位だったけれど、メダリストになった他の選手の滑りとのスローモーション比較映像を見れば、明らかな不正採点だったことは、誰でもはっきり分かることである。 現実界には、欲得で不正を行う人間などいくらでもいるから、結果が全てではない。上村愛子選手は、間違いなくメダリストだった。夢は叶っていた。
上記書き出しの中にある星野道夫さんの読書記録があったので、リンクしておきます。
《参照》 『未来への地図』 星野道夫 (朝日新聞社)
暁星高校のコーチとして、地方大会を戦っていた時のこと。
11月17日、決勝戦前日。林先生に、あるお願いをした。
「選手たちに贈りたい言葉があるんですが、練習後に集めてもいいですが?」・・・中略・・・。
「何言ってんだ。よろしく頼む」 ・・・中略・・・。
それは私自身にも力を与えてくれた言葉である。S級ライセンスの最終試験・再チャレンジの朝に読んだもので、いまは亡きネイチャーフォトの第一人者・星野道夫氏の著作『最後の楽園』におさめられていた。
「想い続けていた夢がかなう日の朝は、どうして心がシーンと静まり返るのだろう」 (p.74-75)
暁星高校は決勝戦を勝ち抜き、羽中田コーチは、現役選手として全国高校サッカー選手権の決勝戦に臨んだ時以来の「国立競技場」へ行くことになった。「選手たちに贈りたい言葉があるんですが、練習後に集めてもいいですが?」・・・中略・・・。
「何言ってんだ。よろしく頼む」 ・・・中略・・・。
それは私自身にも力を与えてくれた言葉である。S級ライセンスの最終試験・再チャレンジの朝に読んだもので、いまは亡きネイチャーフォトの第一人者・星野道夫氏の著作『最後の楽園』におさめられていた。
「想い続けていた夢がかなう日の朝は、どうして心がシーンと静まり返るのだろう」 (p.74-75)
「心がシーンと静まり返る」状態を別の表現で言えば、雑念が消えた「明鏡止水」状態のことだろう。
それって、高次元界とのアクセス状態が最良のときである。
神道的表現で言うなら、「神を行ずる」ことが可能な状態。
ソチオリンピック、女子モーグルの上村愛子選手は、「その日、心は静まり返っていた」と言っていた。そして、ベストパフォーマンスの滑りをしたのである。結果は4位だったけれど、メダリストになった他の選手の滑りとのスローモーション比較映像を見れば、明らかな不正採点だったことは、誰でもはっきり分かることである。 現実界には、欲得で不正を行う人間などいくらでもいるから、結果が全てではない。上村愛子選手は、間違いなくメダリストだった。夢は叶っていた。
上記書き出しの中にある星野道夫さんの読書記録があったので、リンクしておきます。
《参照》 『未来への地図』 星野道夫 (朝日新聞社)
【S級ライセンス取得と、その後の夢】
翌年バイク事故で車椅子人生。
公務員として9年勤務。
その後、サッカーコーチを目指してバルセロナ在住5年。結果はNG。
しかし、その後、日本国内でS級ライセンス取得。車椅子人生になってから23年後のこと。
S級ライセンスって、Jリーグ(J1・J2)の監督をできる資格らしい。
認定後、しばらくしてさまざまな思いがわき上がってきた。
自分一人の力では、成し得なかったであろうS級ライセンス取得。・・・中略・・・。
私にとってS級は、手の届くものではないと思っていた。しかし、いつしか夢は目標に変わり現実のものとなった。認定証をしみじみ眺めながら、〈夢って実現するんだ〉と実感できたことも幸せだった。(p.91)
全国高校サッカー選手権で、2年連続準優勝のフォワード選手として活躍。自分一人の力では、成し得なかったであろうS級ライセンス取得。・・・中略・・・。
私にとってS級は、手の届くものではないと思っていた。しかし、いつしか夢は目標に変わり現実のものとなった。認定証をしみじみ眺めながら、〈夢って実現するんだ〉と実感できたことも幸せだった。(p.91)
翌年バイク事故で車椅子人生。
公務員として9年勤務。
その後、サッカーコーチを目指してバルセロナ在住5年。結果はNG。
しかし、その後、日本国内でS級ライセンス取得。車椅子人生になってから23年後のこと。
S級ライセンスって、Jリーグ(J1・J2)の監督をできる資格らしい。
私はこれから、新たな夢に向かって、ゆっくり歩きはじめるだろう。
FCバルセロナvsヴァンフォーレ甲府の夢舞台。心がシーンと静まり返り、車椅子の監督の声がグラウンドにこだまする。 (p.116)
FCバルセロナvsヴァンフォーレ甲府の夢舞台。心がシーンと静まり返り、車椅子の監督の声がグラウンドにこだまする。 (p.116)
【ギンレイに行こう!】
このブログ内にある 2006年から2007年 の映画鑑賞記録は、このギンレイで観たものばかり。ギンレイ・シネマクラブに入れば、年間50本を1本200円程度で見ることが出来るのだから、これに入らない手はなかった。でも、インターネットが普及するようになってからは、ギンレキが知れ渡ってしまい大層混むようになってしまったので、足が遠のいてしまった。
《参照》 『みんなの声がきこえる』 羽中田昌 四谷ラウンド
【「サッカーは芸術だ」】
映画をどのような視点で見るかは、鑑賞者の任意だけれど、外国映画は、異文化体験として楽しむことが出来るのがいい点の一つだとチャンちゃんは思っている。音を完全に消し映像だけでグイグイと引っ張ってゆくロシア映画、非情悲惨なドンパチ場面が連続してもなお詩情をそそるフランス映画というような感想は、複数の外国映画を見比べることで初めて気づくことである。
そんなことを想いつつ、久しぶりに自分で書いた昔の映画鑑賞記録を読み返してみて、クスクス笑ってしまった。
場所は東京のど真ん中、私がコーチを務めていた暁星高校・・・中略・・・からもほど近い飯田橋前にある老舗映画館・ギンレイホール。・・・中略・・・。ギンレイ・シネマクラブの年会員になると、新作としてはみられないが、年間50本の話題作を少し遅れてみることが出来る。(p.158-159)
懐かしいギンレイの名前を見たので、思わず書き出してしまった。このブログ内にある 2006年から2007年 の映画鑑賞記録は、このギンレイで観たものばかり。ギンレイ・シネマクラブに入れば、年間50本を1本200円程度で見ることが出来るのだから、これに入らない手はなかった。でも、インターネットが普及するようになってからは、ギンレキが知れ渡ってしまい大層混むようになってしまったので、足が遠のいてしまった。
映画鑑賞は現在と同様に、高校時代も息抜きのひとつだった。・・・中略・・・。韮崎高校サッカー部の厳しい練習が終わってから、甲府の映画館でその日、最後の回を見る。ときどき、疲れて眠ってしまうなんてこともあったが、暗闇の中から、知らない広い世界に行けるようで、いつもドキドキしていた、(p.159)
映画は、息抜きとして観るのであっても、何かしら得ることはあるもの。読書も同じである。《参照》 『みんなの声がきこえる』 羽中田昌 四谷ラウンド
【「サッカーは芸術だ」】
映画をどのような視点で見るかは、鑑賞者の任意だけれど、外国映画は、異文化体験として楽しむことが出来るのがいい点の一つだとチャンちゃんは思っている。音を完全に消し映像だけでグイグイと引っ張ってゆくロシア映画、非情悲惨なドンパチ場面が連続してもなお詩情をそそるフランス映画というような感想は、複数の外国映画を見比べることで初めて気づくことである。
そんなことを想いつつ、久しぶりに自分で書いた昔の映画鑑賞記録を読み返してみて、クスクス笑ってしまった。
【サグラダ・ファミリアへの行き方】
私はメトロ(地下鉄)を推したい。(p.174)
下車したら、改札を出て、階段ではなくエレベーター(1つしかない)で地上を目指すこと。そして、エレベーターに乗ったら、乗ったまま(お尻をドアに向けたまま)の状態で前方やや上方を見ていること。
ガラス張りのエレベーターはゆっくり地上を目指し、視界が広がりはじめる。まるで自分が地上に芽を伸ばす植物になったような気分になる。後はご想像のとおり、サグラダ・フォミリアが静かに姿を現す。私は初めてこの鑑賞の仕方を味わったとき、息を飲んでから、思わず「ウォー」と歓声を上げてしまった。(p.175)
ガウディがインスピレーションを受けたという、バルセロナ郊外にあるモンセラート山のてっぺんに登って、下界を見下ろしながら一日ゆっくり過ごすのもいいだろう。
【「ない」が、多くのものを与えてくれる】
サッカーコーチ資格を得るための留学先であるバルセロナで、キニエラというサッカーくじの予想をしていた。お店の閉店時間になってしまったので、提出せずにお店を出てきてしまったらしい。
中途半端に「ある」状態は、最悪なんじゃないだろうかと思うことがしばしばある。
「銀行に行くのはやめて、冷蔵庫を空っぽにして、断食に挑戦しよう」と思ったことは何度もあるけれど、意思薄弱なチャンちゃんは、48時間以上の断食を実践したことすらない。昔から貧食に慣れているから、1日2食、1食100円程度で何日でも生活できてしまうのに、断食が意外にできないのである。こういう「意志薄弱なタコ野郎は、いっそのことスカンピンになってしまうべき」と思うけれど、それも現実的には“ヤバイ過ぎ”と思うから、結局のところ、断食を完遂しようとするなら、山に籠ってしまうとか、無人島に行ってしまうとかしかないかもしれない。
断捨離以前に、お金も物も一切ない感覚で生きるって、究極的にロマンチックな人生だと思う。神とのランデブーが実現する可能性は十分あるだろう。
いずれにせよ、「ない」は極めて素晴らしいことである。
《参照》 『持たない贅沢』 山崎武也 (三笠書房)
サッカーコーチ資格を得るための留学先であるバルセロナで、キニエラというサッカーくじの予想をしていた。お店の閉店時間になってしまったので、提出せずにお店を出てきてしまったらしい。
二日後・・・。
呆然自失とはこういうことを言うのだろう。キニエラの対象となる試合が全て終わり、結果を知ってビックリ。なんと、15試合中、14試合の予想が的中していた。後でわかったのだが、買っていたら日本円でおよそ5千万円の大金を手にすることができた。(p.184)
しかし、大金を手にしていたら、余裕ができてよかったを通り越して、人間は努力しなくなってしまう。例えば、スペイン語を自力で学ぶより、通訳を雇ってしまうとか。
呆然自失とはこういうことを言うのだろう。キニエラの対象となる試合が全て終わり、結果を知ってビックリ。なんと、15試合中、14試合の予想が的中していた。後でわかったのだが、買っていたら日本円でおよそ5千万円の大金を手にすることができた。(p.184)
時が流れて5年後・・・。
バルセロナの留学を終え日本へ帰る飛行機の中で、こんなことを考えていた。
〈そうだ、あれはやっぱり当たらなくてよかったんだ。だって、もしも当たっていたら、僕が書いた三冊の本はこの世に誕生していなかった〉・・・中略・・・。
バルセロナでサッカーの勉強を続けるためには、なんとしてでもお金を稼がねばならない。でも、車椅子に乗っている僕に異国の地で仕事の口などあろうはずがない。そこで何をしたか。一生懸命に書いたのである。小学校のころに反省文しか書いたことのない僕が、もがき苦しみながら必死で書いた。(p.185)
「ない」が、『みんなの声がきこえる』などの3つの著作を生んだ。
バルセロナの留学を終え日本へ帰る飛行機の中で、こんなことを考えていた。
〈そうだ、あれはやっぱり当たらなくてよかったんだ。だって、もしも当たっていたら、僕が書いた三冊の本はこの世に誕生していなかった〉・・・中略・・・。
バルセロナでサッカーの勉強を続けるためには、なんとしてでもお金を稼がねばならない。でも、車椅子に乗っている僕に異国の地で仕事の口などあろうはずがない。そこで何をしたか。一生懸命に書いたのである。小学校のころに反省文しか書いたことのない僕が、もがき苦しみながら必死で書いた。(p.185)
さらに、僕は歩くことが出来ない。この歩けないの「ない」が、多くのものを与えてくれる。たとえば人のやさしさ。歩けていたときよりも、たくさんの優しさを受けている。
「ない」ということ、それは大きな可能性を秘め、多くのことを与えてくれるのだ。「ない」って捨てたものではない。(p.187)
そう、「ない」は素晴らしい状態である。「ない」ということ、それは大きな可能性を秘め、多くのことを与えてくれるのだ。「ない」って捨てたものではない。(p.187)
中途半端に「ある」状態は、最悪なんじゃないだろうかと思うことがしばしばある。
「銀行に行くのはやめて、冷蔵庫を空っぽにして、断食に挑戦しよう」と思ったことは何度もあるけれど、意思薄弱なチャンちゃんは、48時間以上の断食を実践したことすらない。昔から貧食に慣れているから、1日2食、1食100円程度で何日でも生活できてしまうのに、断食が意外にできないのである。こういう「意志薄弱なタコ野郎は、いっそのことスカンピンになってしまうべき」と思うけれど、それも現実的には“ヤバイ過ぎ”と思うから、結局のところ、断食を完遂しようとするなら、山に籠ってしまうとか、無人島に行ってしまうとかしかないかもしれない。
断捨離以前に、お金も物も一切ない感覚で生きるって、究極的にロマンチックな人生だと思う。神とのランデブーが実現する可能性は十分あるだろう。
いずれにせよ、「ない」は極めて素晴らしいことである。
《参照》 『持たない贅沢』 山崎武也 (三笠書房)
<了>