イメージ 1

 茶道に関する記述から 『持たない贅沢』 にかかわる枢要な日本文化が学べるけれど、それ以外はいろんな人々によって語り尽くされていることだから、チョット退屈だった。いかにも三笠書房的な内容の書籍である。

 

 

【真の大人】
 モノに執着しモノを所有して喜ぶのは、幼児性からの脱却がなされていない証拠だ。常時必要不可欠なモノ以外は、できるだけ所有しないようにする。モノは自分の手かせ足かせになるものと心得て、モノから自分のココロを解放することができて初めて、真の大人になったということができるだろう。(p.49)
 著者の見解に則するならば、幼児性の残っている人ほどモノに執着し所有するということになるけれど、現在はそんなにモノに執着しない若者が増えている。バブルの好況期を体験している40歳以上の大人の方が幼児性から脱却できていないのではないだろうか。
 仮に世界経済の破綻が起きないとしても、人類全体は、情報機器の発達によって、徐々にモノに依存する生活形態から離れてゆくはずである。

 

 

【見えないところで・・・判断する】
 人の家に行っても、その人の心の中がきれいかどうかは、トイレや物置の中を見れば分かると言われている。客の目が届くところは誰でも一応は綺麗にしている。見えないところまで綺麗にしているかどうかで、その人の人となりが判断できるのである。(p.98)
 地方にある某宗教団体支部の物置を覗いたことがある。壊れた電気製品や使いもしない雑貨がゴチャゴチャに置かれていた。玄関には 「日本を守る」 というポスターが張られていたけれど、魑魅魍魎の住処を確保しておきながら、どうやって日本を守るというのか?
 仕事ができる人かどうかも、その人の机の整理状況や持ち物の多寡で分かるだろう。
   《参照》   『佐藤可士和の超整理術』 佐藤可士和 (日本経済新聞社)

 

 

【敬】
 茶道の教えにあるキーワードの一つに 「敬」 というのがある。相手がどんな人であっても、その人を敬う心を忘れないで、自分の言動を慎み丁重に相対することだ。だが、それだけではなく、物に対しても同じ姿勢を貫くことを教えている。すなわち、どんな物であっても物は常に大切に扱わなくてはならない。(p.89)
   《参照》   日本文化講座 ⑥ 【 茶道 】
             ○茶道用語 『 和敬静寂 』

 モノに執着する人というのは、案外モノを大切にしない。執着心こそがダイナモになっているからである。だから使いもしないモノがどんどん増えて行く。
 モノを大切にしている人は、多くのモノを所有しない。物に対してすら人と同様に “敬” を持って接する人は、明らかに “霊主体従” の生き方に馴染んでいる人であろう。
 日本文化の基底は常に “霊主体従” である。

 

 

【茶室の目的】
 茶室の中は簡素そのものである。装飾らしきものは何一つない。 ・・・(中略)・・・ 。
 いろいろと雑多なものに囲まれて生活していると、それらものもから刺激を受けて、頭が休まることがない。 ・・・(中略)・・・ 心を落ち着けようとするときは、ものは邪魔なのだ。そこで、ものが見えないように目を閉じて、自分の心の部分に神経を集中していこうとする。茶室の中では、目を開いていても、ものはミニマムにしてあるので、心が澄んでくる。心の部分にマキシムの効果が期待できるようになっている。
 絢爛豪華たる内装の施してある建物の中に入ると、その素晴らしさに圧倒される。ちょっとした興奮の渦の中に巻き込まれた感じになり、我を忘れる。心が外から中に入ってくるもので満たされ、自分自身で考える力を奪われるのだ。物質主義の勢力に打ちのめされたような状態でもある。(p.152-153)
   《参照》   『美的のルール』 加藤ゑみ子 DISCOVER
              【日本人の美意識】 【外見と中身】
 人間は感動に出会うことを常に求めている。だが、感動が外から襲ってこないときは、感動するものを見つけ出そうとして懸命になる。そのような空間ないし状態は、精神主義の支配する世界である。
 茶室は、まさにそのような世界をつくり出そうとする、茶道の先人たちの試みにほかならない。できるだけ 「物質的な」 においのするものを排して、「空」 に近い環境をつくる。一見したところは清貧としかいいようのない雰囲気を演出しているので、そこにマッチするのは清楚といわれる類の美だけだ。(p.153-154)

 

 

【 ”虚” に惹かれる】
 謙虚さの効用と働きのメカニズムを記述した文章。
 謙虚に振る舞うときは、人と人の間に 「虚」 すなわち空間が生じる。空になれば、それを埋めようとするのが、この世界の原理である。そこで、謙虚に振る舞う人との間にある空間を埋めようとして、人々が寄っていく結果になる。これが 「惹かれる」 ということである。
 平和裏に人が集まろうとするのであるから、これは美しい関係である。 ・・・(中略)・・・ 。
 強引は力と力との戦いになるが、謙虚は知らず知らずのうちに引き寄せられていく。さらには、謙虚は力を出していないので、エネルギーを蓄えている結果になっている。内に力を秘めているので、それが美しく輝いてくるのである。(p.175)
 日本人なら、このような謙虚さがもたらす効用がよく理解できるだろう。
 神界においては、より透徹した 「 ”虚” に惹かれる」 状態でなければ 「神と神の“結び”」 は成就しない。
 謙虚な人間性を大切に保ってきた民族、すなわち日本人でなければ新世界は作れないということである。
   《参照》   『人と神と悟り』  日垣の庭宮主  星雲社
               【剣による結び】

 神結びができる程の人は、当たり前に謙虚だからそんなに目立たない。
 俺が俺がという傲慢な人は、宗教家であれ企業家であれ何であれ、日本人としては露骨なニセモノである。
   《参照》   『千年たってもいい話』 斎藤一人 (マキノ出版)
              【日本という国】

 

 

<了>