《前編》 より

 

 

【崇高な目的を持ち、神を求める心があるかどうか・・・】
 崇高な目的を持つこと、神を求める心は何よりも重要です。
 私たちは我欲にまみれているうちは制限された、とても小さな存在でしかありません。
 でも、崇高な理想を掲げ、神を求める心を持った時に、人はとても大きく輝く存在になることができます。
 ・・・中略・・・、心の在り方が神とともに在るかどうかです。
 もともとすべての人、そしてすべての存在には地上に来た目的があり、大きな存在価値を持っています。それを明確に際立たせるのは、神に向かう心、神を求める心です。(p.155-156)

 

 

【瞑想と性行為、そのエネルギーの違い】
 神を求める心が高まると、離欲が始まります。
 それは植物が実を結ぶ前に、開花した花の花弁が一枚ずつそっと離れていくように、世俗的・感覚的快楽への欲求が自然に消えていきます。
 欲は、禁欲のように力で押さえつけるものではなく、自然に離れていくのが理想です。
 例えば、性欲や物欲を無理に押さえつけたとすると、心の中では歪みとして残り、逆にその欲から完全に解放されることは難しくなります。(p.156)
 若くても離欲できていたとしたら、よほど生まれた時からの環境に恵まれた人の場合なのだろう。仏門に入れば、白骨観という離欲のための観想法を学ぶことができるけれど、普通に世俗で生きてきた人が白骨観だけで完全に離欲できたという例はあるのだろうか。
  《参照》  『結婚しなくていいですか。』益田ミリ(幻冬舎)
          【セックスという煩悩】

 世俗的な欲より、神を求める欲の方が大きい人だってきっといるのだろうけど、普通には、よほどの何らかの契機がないと、そういう心境にはなれないだろう。
 それでも、今この時代を選んで日本に生きている魂なら、できるはず。
 清らかな思いと神を求める心は、霊性進化に必須の条件です。(p.308)

 「把手共行」という禅語があります。
 私たちは、決して一人ではなく、どんな時でもいつも自分の内側に宿る神とともに歩んでいるという意味です。神に心を向けている人は、どんな時でも決して孤独ではないことを知っています。・・・中略・・・。
 神に向かう心を強く持ち続けることは人として最も大切なことで、それによって自我意識を超越し、心身ともに調和の方向に向かい、あらゆる体験が魂の栄養になることは間違いありません。(p.345)

 

 

【一なる神から拡がった】
 日本では、古代から八(や)は、神から現象界に降ろされたものに与えられた印であり、そのため漢字では一とハ(一なる神から拡がった)を合わせた八が採用されています。神話や神に関する儀式を執り行う場には「や」(八)で始まる言葉が多いのはこのような理由によります。(p.170)
 画面上で表示される漢字の「八」は、カタカナの「ハ」とそれほど変わらないけれど、通常、印刷される活字では、「八」の右側の“逆ノ”の上に“水平な短い横棒”が繋がっている。
 〈 意図する「八」は、iPad などのタブレットでは表示されていますが、PC の vaio では表示されていません。機種によって違うようです。 〉
 弥栄(いやさか)は、弥(一八)栄えると書きます。
 一の世界から八の世界にはこの次元の世界のすべてが包括されています。
 この一から八は宇宙の循環でもあり、創造主から派生した次元の階層でもあります。 (p.173)
  《参照》  『深・古事記 神ながらの道』真名(Mana)(三楽舎)《前編》
           【「やさか」と「いやさか」】

 

 

【宇宙の基本音「AUM」と「3」】
 3の法則を代表するものの1つに、宇宙の基本音AUMがあります。
 この3音は創造・維持・破壊を象徴する言霊で、インドではブラフマン・ヴィシュヌ・シヴァの三神で象徴されます。
 Aは頭の周波数に共鳴し、Uはハートの周波数に共鳴し、Mは丹田から第一チャクラまでの周波数に共鳴します。
 この言霊は脳内を満たし、それから脊髄を通ってハートを広げ、生命力の源泉に到達し身体中が共鳴していきます。
 それは肉体レベルを超えて至上霊である神との合一に至るための乗り物となります。・・・中略・・・。
 インドの聖典においては聖音AUMの唱え方はいくつかの方法があります。
 伝統的にAUMは3回1セットで唱えられます。最初のAUMは高い音程で、2度目は中程度の音程で、最後は低い音程です。これは全宇宙と人の三段階の周波数に同調します。 (p.198~199)
 「AUM」は、一般に良く知られている「オーム」ではありません。「オーム」は「A」に相当しているだけです。それは・・・中略・・・とした部分に書かれていますが、他にも非常に重要なことが書かれているので、買ってきちんと読むべきという意味で、あえて・・・中略・・・にしておきました。
 3回1セットの、高い音程は「上筒」、中程度の音程は「中筒」、低い音程は「底筒」でしょう。
 住吉大社はこのような構成になっています。
  《参照》  住吉大社
         【住吉大社と島津氏】
         【住吉大社の構成】
  《参照》  『チャクラ・クリアリング』ドリーン・バーチュー(JMA)
         【第三の目を活性化させる音唱】

 

 

【多くの人が神性を見失っているのは・・・】
 多くの人が神性を見失っているのは、本物の自然界との関係を自ら断ち切ったことが大きな原因です。
 太陽の暖かさと心の温かさ、大空に広がる空気と肺の空気、母なる海の水と身体の水分、川の水流と血液の流れ、身体を構成する素材と大地も、全く同じものであることを理解していない人がほとんどなのです。
 英語では、自然の Nature も、自分の中にある本性の Nature も同じ単語で表されます。これは本来一致していなければならないものだからです。(p.241)
 このようなことは、頭では理解しているけれど、体で感じ取っていないことがネックなのだろう。
 やはりある程度自然に囲まれた静寂な環境で、瞑想を欠かさない生活をしていないと、取り戻せないような気がする。
 神へと向かわせる心を確固たるものにするには、五大元素(地水火風空)とのバランスを取ることが必要という点から、それらの意味や接し方が書かれている。
 下記は、その内の「地」に関するもの。
 安定感の基本となるものは地の力に由来します。
 地のエネルギーを感じるために、自分で一番エネルギーを感じる山の頂上付近に背筋を伸ばして座ります。できれば裸足で行う方がよいでしょう。
 髪を束ねている人はほどくといいでしょう。髪にはいまだ科学的には知られていない自然界の精妙な波動を感じる機能があります。 (p.255)
 なぜ山の上なのかは、おそらく、磁性と深い関わりがあるのだろう。
  《参照》  『「粘土食」自然強健法の超ススメ』ケイ・ミズモリ(ヒカルランド)《後編》
          【高い磁性を持つ聖山】

 下記は髪に関するもの。
  《参照》  『宇宙神霊学入門』大和主(文芸社)
          【髪(神)を切る】

 

 

【自我を消すことのメリット】
 自分の自我を滅した状態で話しを聞き続けるうちに、相手の発する言葉から、相手の本質へと共感することができるようになっていきます。
 また自我が消えた無垢な状態で話を聞くことの大きなメリットとして、「繊細な感覚が養われやすくなる」ということがあります。
 話の内容を聞きながら、自分の思いを平行して頭の中で考える場合、どうしても相手の話の内容に同意したり、反発したりします。人に対して、ネガティブな感情を抱いてしまうと、繊細な能力の発達は確実に止まります。(p.290-291)
 ネガティブな感情がポジティブな感情より荒々しいものであることは説明の用もないでしょう。
 人の話の聞き方に次いで、動物の声の聴き方、自然の音の聴き方が書かれています。